■座談会出席者(敬称略)
高橋正樹 1986年、早稲田大学商学部を卒業。創業105年を迎えた気仙沼商会の5代目代表取締役社長を務める。
加藤拓馬 2011年、早稲田大学文化構想学部を卒業。まるオフィス代表理事。東日本大震災を機に大学卒業と同時に気仙沼へ移住。
武石侑里子 早稲田大学法学部4年生。早稲田大学気仙沼チーム(WAVOCの復興支援活動を起点に生まれた学生団体)の前幹事長(2024年度)。
気仙沼と出合った、それぞれの原点
ーー気仙沼の復興支援に関わるようになったきっかけを教えてください。
武石 大学でボランティアサークルを探していたことがきっかけです。中学時代に陸前高田(岩手県)を訪れ、震災学習をした記憶が重なり、気仙沼で活動する早稲田大学の「気仙沼チーム」に興味を持ちました。中学3年生の修学旅行で訪れた陸前高田は、震災から8年ほどたっていましたが、まだ空き地が多く、復興の途中という印象でした。民泊で泊めていただいたご家庭はとても温かく、短い滞在にもかかわらず、「帰りたくない」と思うほどでした。その経験から、被災地は「大変な場所」というだけでなく、「人の温かさがある場所」なのだと強く心に残っていました。
武石侑里子氏中学校の修学旅行で陸前高田(岩手県)を訪れ、災害復興支援に関心を抱く。WAVOCの能登半島地震 災害復興支援ボランティア活動にも参加。幹事長を務めた気仙沼チームには現在約70人(2026年2月時点)が所属している。
加藤 私は2011年の東日本大震災をきっかけに、気仙沼に来ました。学生時代から国内外でボランティアに関わり、将来はNPO(民間非営利団体)やNGO(非政府組織)の分野で働きたいと考えていました。震災当時は就職先も決まっていましたが、「今行かなければ後悔する」という感覚が強く、就職せず、新卒無職のまま気仙沼に入りました。当初は半年ほどのつもりでしたが、気が付けば14年以上、この町で暮らしています。
加藤拓馬氏2015年、まるオフィス設立。まちづくりの人材育成、移住支援、教育事業を展開。2020年より気仙沼市探究学習コーディネーターとして中高生の学びを支援している。宮城県社会教育委員。
高橋 私は気仙沼で、ガソリンスタンドや燃料供給を中心としたエネルギー事業を営んできました。2011年3月11日、ちょうど年度末で全社員面談をしているさなかに、あの地震が起きました。津波により、経営する市内のガソリンスタンドの多くは壊滅しましたが、山側にあった2カ所が辛うじて残りました。電気は止まり、地下タンクから手作業で燃料をくみ上げるしかありませんでしたが、翌日から給油を再開しました。寒さの中、車で暖を取っている人が多いだろうと考え、とにかく燃料を出すことを最優先にしました。途中、市長から連絡が入り、消防、警察、自衛隊など、まだ助けられる命を救う人たちへの給油を優先する判断をしました。あのとき、エネルギーは命をつなぐ基盤なのだと、強く実感したのです。
高橋正樹氏東日本大震災後に気仙沼市震災復興市民委員会に招聘され、座長として復興計画の立案と遂行に尽力。2012年、気仙沼地域エネルギー開発を設立。地域内の間伐材から電気を作る木質バイオマスプラントを稼働させ、再生可能エネルギーによる地産地消のエネルギーの創出に成功する。
ーー具体的に、どのような復興支援活動を行ってきたのですか。
加藤 来たばかりの頃は、がれきの片付けや避難所支援など、目の前の復旧作業に関わっていました。その後、地域外から訪れる大学生ボランティアを受け入れ、地域のニーズを整理してつないでいく役割を担うようになりました。一度は東京に戻ることも考えましたが、復興は片付けが終わってからが本番だと感じるようになり、「この町の人たちが、これからどう生きていくのかを一緒に見たい」という思いが強くなり、2015年に、まちづくりの人材育成や教育事業を展開する「まるオフィス」を立ち上げたのです。
武石 気仙沼チームには2023年5月ごろに入りました。チームは震災直後から活動を続けており、時代とともに活動内容は変わってきましたが、「そのときその場所で必要とされることをやる」という姿勢は、代が替わっても引き継がれていると感じています。活動は、気仙沼での現地活動と東京での活動に分かれます。気仙沼では、夏の気仙沼みなとまつりで市役所の方と一緒にボランティアを行い、ゴミ分別の呼び掛けやボート大会の運営を手伝っています。また、自分たちでスタディツアーを企画し、学生に震災や気仙沼について知ってもらう取り組みも行っています。東京では、さんま祭りでのボランティアや気仙沼関連イベントの運営、ドキュメンタリー映画の上映会などを通じて、気仙沼を伝える活動をしています。
高橋 震災後、私は気仙沼市震災復興市民委員会の座長を務めました。これは自分の商売とは切り離した立場で、市民の視点から復興計画を考える場でした。医療や教育、産業、まちづくりなど、町全体をどう再生するかを議論しました。その中で、地域の資源を循環させるエネルギーの在り方も、大きなテーマの一つでした。
復興のフェーズとともに変わってきた関わり方
ーー復興支援活動を行っていく中で、どのような変化がありましたか。
高橋 もともと私は、スローフード運動など地域の資源を生かし、次の世代につなぐ循環型社会を目指した活動をしてきました。復興計画の流れの中で、木質バイオマス発電をやろうという話が持ち上がったのですが、難しさから手を挙げる事業者はいませんでした。最終的に「復興計画を作った当事者なのだから、あなたがやるしかない」と背中を押され、引き受けることになりました。構想から稼働まで約4年。今では11年以上連続稼働していますが、正直に言えば収支は今も厳しいままです。それでも、森を生かし、雇用を生み、地元でエネルギーを回す風景には、大きな意味があると感じています。
加藤 まるオフィスは、最初から教育を目的にしていたわけではありません。復興まちづくりの一環で、漁師体験など地域外から人を呼ぶ企画を行った際、地元の子どもたちを船に乗せたことがあります。そのとき、観光客以上に、子どもたちの姿を見て地元の大人が喜んでいることに気付きました。復興において、子どもたちはとても重要な存在なのだと実感した瞬間でした。現在は、中高生が学校を飛び出し、地域で自分自身のプロジェクトに挑戦する探究学習の場づくりを行っています。生徒たちは、地域の大人と関わりながら、答えのない問いに向き合っていきます。私たちは、その挑戦に寄り添い、伴走する立場です。復興期の助成金から始まったこの取り組みも、今では市の教育委員会と連携し、行政委託事業として続いています。
武石 幹事長として活動する中で一番悩んだのは、「今、私たちに何ができるのか」を考え続けることです。震災直後の分かりやすいニーズは減り、復興が進む中で、学生ボランティアの役割は見えにくくなっています。それでも、住民の方から「来てくれるだけでうれしい」と言っていただいたり、大学生と関わることで子どもたちの進路の選択肢が広がるという話を聞いたりする中で、自分たちなりの意味を少しずつ見つけてきました。早稲田大学の学生としてここに立つこと自体が、一つの役割なのだと感じるようにもなりました。
ーー印象に残るエピソードがあれば教えてください。
加藤 2024(令和6)年1月の能登半島地震をきっかけに、気仙沼の高校生や大学生が「今度は自分たちが支援する番だ」と声を上げました。彼らは幼い頃に東日本大震災を経験し、全国から支援を受けた世代です。その記憶が、「今度は自分たちが誰かのために動きたい」という行動につながっている。その姿に心を動かされ、私自身も高校生たちと一緒に能登に通うようになりました。貢献することは、誰かの役に立つだけでなく、行動した本人にとっても大きな学びになる。そのことを、改めて強く実感しています。
高橋 正直に言えば、震災直後はボランティアを受け入れる余裕などありませんでした。しかし、何台ものバスで若い人たちが来てくれる姿を見て、「若い力によって、この町に何かが起こるかもしれない」と感じたのです。実際、気仙沼に来た早稲田の学生たちは、自立した態勢で、こちらの負担がほとんどない。真面目で、よく動き、町に元気を与えてくれました。子どもからお年寄りまで、避難所の人も仮設住宅の人も、早稲田の学生に本当に張り合いと元気をもらいながら、この十数年を過ごしたのではないかと感じています。
武石 特に印象に残っているのは、2023年9月に気仙沼市で開催された震災フォーラム「東日本大震災と早稲田大学」をきっかけに、匿名で私たちの活動を支援してくださった気仙沼の方との出会いです。何度も間接的に応援を受け、みなとまつりで初めて直接お会いしたとき、「本当にありがとう」と言われた瞬間、自分たちの活動が確かに誰かに届いていると実感しました。
「貢献」がつないできた大学と地域との関係
ーー復興支援活動を通じて、大学とのつながりをどのように感じますか。
2011年の東日本大震災直後から、延べ6000人以上(2011~2019年の累計)の早稲田大学の学生がボランティア活動を実施してきた。今も社会的貢献と新たな共創の可能性を模索している
高橋 多くの団体が数年で去っていく中で、早稲田大学は今も学生を送り続けています。世代が替わっても関わりが続いていることは、本当にありがたいことです。ただ、時間がたつほど震災の記憶は薄れ、関わる意味も問い直されます。だからこそ、「忘れない」ための関係をどう続けていくかが、これからの課題だと思っています。
加藤 早稲田大学の学生が、震災直後から今に至るまで、世代を超えて気仙沼に関わり続けてくれていることは、この町にとって大きな意味があります。例えば地元の高校生にとって、早稲田の現役学生と出会う機会はほとんどありません。だからこそ、身近なロールモデルと出会うことで、「自分もこんな選択肢を選んでいいんだ」と世界が広がっていく。その影響は、とても大きいと感じています。
武石 個人的に、早稲田大学の法学部で社会保障法を学ぶ中で、「支え合い」という考え方と、気仙沼での活動はつながっていると感じています。社会貢献は、一方的に何かをすることではなく、自分自身の世界を広げてくれるものだと思います。気仙沼での活動を通じて、地元以外に「帰ってきたい場所」ができたことは、私にとって大きな財産です。
ーー今後、どのようなかたちで復興支援に関わっていくべきだと思いますか。
加藤 早稲田大学には、気仙沼を単なるボランティアの場ではなく、「学びの場」「研究の場」「貢献の場」として関わってほしいと思っています。地方には、人口減少や産業の転換など、答えのない問いが集まっています。教室や研究室ではなく、現場でそれらに向き合うこと自体が、かけがえのない学びになるはずです。
地方は課題の多い場所ですが、見方を変えれば、最前線の問いが凝縮されたフィールドです。定住人口の増減にとらわれるのではなく、人の出入りやエネルギーの循環に目を向ける。その中で、学びや挑戦が連なっていく。共通するキーワードは「貢献」です。誰かや社会のために動くことが、自分自身の成長にもつながるからです。
武石 私自身は、卒業後も、みなとまつりなどの機会に参加しながら、これからも気仙沼との関わりを続けていきたいと思っています。学生としての関わりは一区切りついても、人と人とのつながりは終わらない。そう思える場所に出合えたこと自体が、この活動を通じて得た、何よりの学びだと感じています。
高橋 町としては、復興計画は完成に近づいていますが、人口減少という新たな課題に直面しています。町は歩ける状態にはなりましたが、かつてのようなエネルギーが感じにくくなっているのも事実です。新しい産業や、人の流れをどう生み出すのか。その中で、大学とどう関わり、知恵や若い力をどう生かすのかが、これからの気仙沼にとって重要だと考えています。若い人たちと一緒に考え、学び続けること。それが、震災を経験した町として、次の世代にできることだと思っています。
地球規模で貢献できる人材育成を推進する
早稲田大学では「世界人類への貢献」という高い志を掲げ、幅広い分野の知見を融合した総合知によるアプローチで、ビジョンの実現を図っている。GCCを中核として、大学の知見と教育資源を結集し、国内外のボランティア活動、地域・企業との協働、リーダーシップ教育、実践型学習などを通じて、地球規模で貢献できる人材育成を推進している。
令和6年能登半島地震などの災害ボランティアとしての支援活動に加え、法科大学院の学生・教員が被災地を訪れて地域住民の法律相談に乗るといった、現場のニーズに対する新たな社会課題(=研究課題)に取り組む活動も展開。また、地域・企業との協働においては、地域や企業が抱える課題に対する実践型ワークショップなども年間で約10プログラム開催し、社会連携教育を実践している。
写真左:令和6年能登半島地震でのボランティア活動、写真右:佐賀県との地域連携ワークショップ・最終報告会での現地メディア取材の様子
■Global Research Center https://www.waseda.jp/inst/research/
■Global Education Center https://www.waseda.jp/inst/gec/
■Global Citizenship Center https://www.waseda.jp/inst/sr/
■平山郁夫記念ボランティアセンター https://www.waseda.jp/inst/wavoc/
