今年の就活戦線が始まった。僕は毎年、この時期になると憂鬱な気分になる。その背景にあるのは「絶望感」と「怒り」だ。

 前者の「絶望感」というのは、ほとんど準備ができていないまま就活に臨んでいることへの「こんな状態で本当に満足のいく就活ができるのか?」という大学生たちに対するもの。一方、後者の「怒り」とは、ほとんど何の有効性もないキャリア教育を行ってきた大学関係者に対するものだ。

 もちろん、学生たちは自己分析やら自己PRの「方法」については学んでいる。しかし、自分の「本当の価値観」を見い出す方法については学んでいない。自己分析とは本来、「自分でも気がついていない本当の価値観」を明らかにし、その価値観がこれまでの自分の人生にどのような影響を与えてきたかを知ることだ。だから、自分の価値観を知らずに本質的な自己分析などできるはずもないのだが、これができていないということは、説得力ある自己PRもできないということだ。

 就活とはつまるところ、プレゼンだ。「自分はいかに御社にとって有益な人材であるか」について企業の担当者にプレゼンすることだが、こうしたプレゼンでは、基本的に「自分」と「(就職したい)企業」と「社会」の関連性を、どのような文脈で語るかということに尽きる。自分はどのような人間であり、どのような価値を社会に対して生み出すことができ、その結果として企業にどのような貢献ができるかを語る。その文脈でプレゼンする。自分を売り込むワケだ。説得力あるプレゼン、共感してもらえるプレゼンの本質とは、そのような「文脈」なのである。

 なので、自分の本当の価値観を自分で明確に知っておかないと「自分とは何者か?」の語りが弱くなる。必然的にプレゼン自体の文脈が弱くなる。さらに言えば、プレゼンすべきエピソードを「価値のない話」だと勝手に判断してしまい、面接でアピールしないという非常にもったいない失敗をしでかしてしまったりもする。

 僕はこれまで、「価値観就活」という概念で多くの就活支援もしてきたが、これは学生に共通する弱点だ。学校のレベルは関係ない。早慶のような高偏差値大学の学生であろうが、低偏差値大学の学生だろうが、基本的には同じだ。就活生を大賞としたワークショップで「本当の価値観」を明らかにするワークを行なうと、ほとんどの学生が「自分でも気づいていない、または忘れていた価値観」に出合い、いままでの「自己分析」がいかに間違っていたかを知って愕然とする。

 しかし、「本当の価値観」を知れば、どの企業にエントリーすべきかが明確になり、面接でのプレゼンも説得力を増す。手前味噌で恐縮だが、僕がこれまで関わってきた学生のなかには、たとえば偏差値40台の大学にもかかわらず、モルガン・スタンレーやメガバンクなど、早慶の学生でも難しい一流企業から内定を取る学生が続出した。また、一般的に低偏差値大学の女子大生は自己評価が低く、「どうせ私なんか、ろくな企業に就職はできない」と悲壮感を漂わせていることが多いが、この価値観就活を行なうことで、ほとんどすべての女子が「就活が楽しくなりました」と言ってくれる。結果として、全員が満足できる企業に就職を果たしている。

 そのような結果や喜びの声を聞くと、就活支援をやってホントによかったと思うが、一方で、就活生に悲壮感しか与えない、いまの大学のキャリア教育とは何なのか、と激しい怒りを感じるというわけだ。

日本の学校教育で
もっと鍛えるべき「文脈力」

 なぜ、このような状況が生まれているかというと、日本の大学に「文脈」という概念がないからだと思う。それがないから、文脈を無視した「詰め込み型教育」の入試を延々と続けているのである。