インテルを「環境を支配する企業」に変えたアンドリュー・グローブの卓見Photo:AP/Aflo

 今回はインテルのアンドリュー・グローブを紹介したい。ご存じの通り、今年3月21日、伝説的CEOが79歳で永眠したという訃報が世界中に流れた。ハンガリーに生まれ、ナチスドイツの占領やハンガリー動乱を経験した後、米国へ亡命。インテルを世界一の半導体企業に導いた手腕は、今でも世界中の人から賞賛されている。

 インテルの歴史は3つの時代に分けられる。第一期は1968年から85年までの「メモリ企業」の時代、第二期は85年から98年までの「マイクロプロセッサ企業」の時代、第三期は98年から始まった「インターネット関連企業」の時代である。メモリとマイクロプロセッサは、いずれもコンピュータの中核的な構成要素で、それぞれ記憶装置と演算装置を意味する。この中で、アンドリュー・グローブは第二期のCEOを務めた。

 グローブは全米で最も優れた経営者のひとりともいわれる。それは、この第二期において、インテルがパソコンのプラットフォームを支配する企業として飛躍する可能性を見出したからだ。

メモリ事業で日本に覇権を奪われ
マイクロプロセッサに転換

 インテルは元々、MOSプロセス技術や製造技術を成功要因として、メモリ事業を他社に先駆け成功させた。ここでグローブは集積度や歩留まりを高める上で大きな貢献をする。ところが、70年代に入ると、半導体製造装置の開発投資に巨額の資金がかかるようになり、製造技術における強みが、ニコンやアプライド・マテリアルズ社のような半導体製造装置メーカーに移っていった。マイケル・ポーターの5Fに沿って言えば、上流のサプライヤーにパワーシフトが起こったわけだ。

 こうした環境変化は、インテルを窮地に追い込むことになる。製造装置を買うことで強みを獲得した日本の半導体メーカーが、急速にメモリ事業において台頭していったのだ。いち早く成功要因を確立した企業であっても、環境変化から無傷でいることはできないということだ。

 ここに至って、インテルはメモリ事業からの撤退を決断する。メモリを成功させた立役者のひとりでもあるグローブにとって、それは断腸の思いであった。いかに天才グローブといえども、過去の成功体験から脱却することは容易なことではなかった。それは次の言葉からわかる。

「生死を賭けた土壇場になってはじめて、目の前の現実が、長年信奉してきた信条を打ち破るに至った」