大阪・釜ヶ崎で38年続く子どもの集い場、「こどもの里」を描いた映画『さとにきたらええやん』が、静かな注目を集めている。6月中旬からの公開を前に、監督・重江良樹氏が作品に込めた思いを伺った。
大阪で38年間続く「こどもの里」と
映画『さとにきたらええやん』
(C)ガーラフィルム/ノンデライコ
大阪・釜ヶ崎地域は、東京の山谷と同様、「寄せ場」として知られてきた日雇い労働者の街だ。貧困は常に、「すぐそこ」にある問題だった。ドヤ(簡易宿泊所)・居酒屋・パチンコ屋・ゲームセンターが並ぶ街には、日雇い労働者の子どもたちがいた。
1977年、子どもたちの遊べる児童遊園がほとんどない街に「健全で自由な子どもの遊び場を」と、学童保育「子どもの広場」が開所された。釜ヶ崎地域で現在も続く「こどもの里」の前身だ。
まもなく「子どもの広場」は、学童保育を行って子どもの遊び場を提供することに留まらない活動を行うこととなった。子どものいる家族が住まいを獲得するための資金援助、借金や暴力から逃げてきた家族や子どもの緊急避難……。釜ヶ崎で暮らす子どもたちの生活の「しんどさ」は、親や家族の生活の「しんどさ」と一体なのだ。
1980年、「子どもの広場」を前身として「こどもの里」を立ち上げた荘保共子(しょうほ・ともこ)氏は、現在も「こどもの里」の館長を務めている。運営母体の変更、大阪市「子どもの家事業」廃止(2014年)など数多くの紆余曲折を経て、「こどもの里」は現在も同じ場所で学童保育・子育て支援拠点・親と暮らせない子どもが暮らす「ファミリーホーム」など数多くの事業を提供し、子ども・親・街の人々にとって欠かせない場となっている。今年度より、10代後半の若者たちの生活の場である「自立援助ホーム」を開設。今後は、障害を持つ親・子・家族の生活を支える「地域生活支援事業」の開設が予定されている。
「子どもの広場」から約40年が経過する中で、釜ヶ崎の街と人々の抱える問題の内容も変化した。現在、貧困や困難は、容易に発見できるとは限らない。かすかな「SOS」をキャッチし、タイミングを逃さず適切な対処を行うことは、より難しくなっている。しかし「こどもの里」は、自らの現状・方法を常に点検しつつ、課題に取り組み続けている。
「こどもの里」を一言で言い表すのは難しい。子どもの居場所であり、遊び場であり学びの場でもり、そこで生活する子どもたちもいる。親の必要とする支援を提供する場でもある。冬季、寒い屋外で体調を崩している路上生活の「おっちゃん」が休息することもある。子どもたち・親たち・釜ヶ崎の人々は、親しみを込めて、「こどもの里」を“さと”と呼ぶ。
2016年6月中旬から全国公開されるドキュメンタリー映画作品『さとにきたらええやん』は、「こどもの里」こと“さと”に2年間密着し、「きれいごと」ではない人々の日常と、「しんどさ」の中で立ち現われてくる希望を描き出した作品だ。既に先行試写会・メディア試写会が行われ、静かな話題を呼んでいる。
今回は、本作品が初監督作品となる重江良樹(しげえ・よしき)氏に、作品と「こどもの里」への思いを語っていただいた。