フリーターをしていた都築博志は、父親からの要請で節電装置のレンタル事業に乗り出す。トラブルを抱えながらもようやく軌道に乗ってきた都築を襲ったのは、類似製品を扱う会社の詐欺事件だった。同類とみられ解約の嵐に見舞われた都築の会社は、倒産寸前にまで追い詰められた。苦境を救ったのは「オール電化」事業だった。
フリーターから家業の電器屋へ
節電装置の新規顧客開拓を開始
高校を卒業して運送会社でサラリーマンをしていた都築博志は、「この仕事を続けていても明るい未来はない」と感じ、3年で退職した。役者を目指して小劇団に所属しながら、フリーターとしてパン工場、ボーリング場、カラオケボックス、レストラン、パチンコ屋、日雇い労働など実に様々な職業を経験してきた。このとき貯めたお金50万円でたこ焼き屋を開業したが、うまくいかなかった。
そのころ、街の電器屋を1人でやっていた父親から「手伝って欲しい」という連絡があった。大型の量販店に押されて街の電器屋はどこも苦しく、父親の店も苦境に立たされていた。
このため父親は、配電盤の横に取り付ければ電気代が8~15%も安くなるという節電装置のレンタル事業に取り組んでいた。既存客への売り込みが一巡し、新規顧客に売り込みたいのだが、うまくいかない。そこで博志に声が掛かったのである。2001年、博志24歳のときのことだ。
不審者扱いされ、警察を呼ばれることも
順調ではなかった訪問販売
レンタル料は月々1000円だった。都築は代理店を募集したり、近所のスーパーマーケットとタイアップしたりした。スーパーにチラシを置かせてもらい、契約者にはそのスーパーでの買い物券5000円分をプレゼントするというアイデアだった。しかしいずれもうまくいかない。仕方なく、営業マンを雇って訪問販売をやることにした。
オフィスといってもアパートの1室だから、来てくれる人材は限られる。それでも18~19歳の若者を5~10人雇った。契約を得るため、みんなで手分けして住宅地を回り、一軒一軒訪問するのだが、玄関ブザーを鳴らすと、不審者と思われたり、警察を呼ばれたり、ときにはバットを持って追いかけられたこともあった。
雇った社員は、朝なかなか出勤してこない。仕方なく都築が迎えに行った。若者たちは無断欠勤が当たり前、気に入らないことがあるとすぐに辞めた。