所詮小役人的で了見の狭い
東大の秋入学提言

 東京大学が学部の春入学を廃止し、国際標準の秋入学へ全面移行する案を提言した。留学生の受け入れ、日本人学生の派遣、外国人教員獲得の増加など国際化の推進を狙うものだ。また、入学試験を現行通り春に行うことで、高校卒業から大学入学までの半年間を、学生が多様な体験活動を積む「ギャップターム」とし、偏差値重視の学生の価値を変えるという。だが東大の提言は、所詮小役人的で了見の狭いものだ。

 端的に言って、秋入学への全面移行で留学生が劇的に増えることはない。国際化を目指す多くの大学は、既に留学生に関する秋入学を導入してきた。現在でも留学生受け入れに支障はない。留学生増を目指すなら、秋入学の定員を増やせばいいだけだ。また、優秀な外国人教員が増えないのは、日本の大学の閉鎖的な体質の問題だ。秋入学に全面移行しても、大学の体質が変わらなければ、外国人教員は増えない。

 東大の提言は、突き詰めると「日本人学生の入学を全面的に秋に移行する」ということだ。将来国際的に活躍したい若者にはいいことだろう。だが、国際的に活躍するのは、多種多様ある生き方の1つに過ぎない。東大という「役所の行政指導」で、日本社会全体が「右向け右」で国際化する必要はない。

 まして、ギャップタームを導入し「行政指導」で若者の価値観を変えるなど、大きなお世話だ。筆者の周囲にも、大学を休学して1年間世界を放浪しようという若者が何人もいる。海外で就職する「セカ就」の動きも広がり始めているという(第19回を参照のこと)。若者は小役人に導かれなくても、将来を見据えて自ら行動を起こしているのだ。

 更に言えば、東大の提言が社会を変えるわけではない。むしろ、グローバル化という社会の変革に、国際化が遅れていた東大も対応せざるを得なくなったということだ(第26回を参照のこと)。東大は国際化のフロントランナーと思われがちだが、実態は官僚的で、早稲田などに比べてはるかに国際化が遅れている。多くの大学は既に、多様な人材を受け入れ、多様な教育を行っている。東大もようやく国際化に動き始めたが、相変わらずの小役人的な了見の狭さで、社会全体を指導しようとするから性質が悪い。