政党の党首選で語られがちな
「世代交代論」は年齢差別か
読者は、たとえば自民党の総裁選で、候補者が「世代交代」を熱っぽく語るのを聞いて、どう思われるだろうか。敢えて二択で問うなら、「もっともだ」と思うか、「バカだなあ」と感じるか、いずれだろうか。
感じ方はどちらでもいいのだが、大政党のトップに立とうという政治家の場合は、世代交代論に「年齢差別」の要素が入っていることに対して、もっと敏感であるべきだ。本来チャンスが平等であるべき世界で「高齢だから、遠慮してください」とは言えない。それに、有権者にも高齢者が多い。
「若手にチャンスを」というところまではいいとして、「老人は去れ」というようなことを言った場合、その言葉の差別性を攻撃されて窮地に陥る政治家が近い将来出てもおかしくない。政治家もビジネスパーソンも、注意が必要だろう。「老害」などという言葉を安易に使うメディアも同様だ。
とはいえ、これまで世代交代論には多くの人が賛成してきた。理由は、企業の年功序列人事や公的年金における優遇など、これまで高齢者があまりにも有利で不公平な既得権を持っていたからだろう。
「高齢者=不当に有利な人」という前提があれば、「高齢」を攻撃することを、それほど悪いことだとは思わなくなる。
しかし、高齢者が急増しており、年金を考えても、企業を考えても、かつてのように若年者の稼ぎで高齢者を養うことが難しい。高齢者の既得権は着々と薄まりつつある。もちろん、高齢者が増えること自体が、単純な世代交代論に対して懐疑的な声を増やす効果もある。
そういえば、今週初め、9月17日(月曜日)は「敬老の日」であった(筆者は、敬老の日は9月15日でないと感じが出ないが)。この機会に、人を年齢で区別することの問題点について考えておこう。