安倍晋三自民党総裁は、かつて首相在任中、「美しい国、日本」を提唱した。「美しい国」とは、安倍総裁のこれまでの発言などから、「正直、勤勉、誠実、信義・約束を守る、親切、清潔、礼儀正しさという『美徳』を持ち、『愛国心』『公共の精神』『規範意識』『道徳』に基づいて行動し、『文化』『伝統』『自然』『歴史』を大切にする『美しい人』によって成り立つ国」と理解できるだろう。
「美しい国」という概念自体を否定するつもりはない。ただ、日本という国のごく一面だけを強調しすぎではないだろうか。日本はもっと多彩な面を持つ国だ。日本の「伝統」「文化」についていえば、「規範」「道徳」「礼儀正しさ」など美徳とされるものを破壊する、型にはまらない自由な発想から生まれてきたのではないだろうか。
例えば、「歌舞伎」とは、派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した「かぶく」という言葉を語源とする。また、能や狂言の原型である「猿楽」は、民衆の間に広まった滑稽な笑いの芸・寸劇である。世界最古の長編恋愛小説ともいわれる「源氏物語」や「浮世絵」なども、道徳ばかりが強調されては生まれなかったものだろう。
J-POP、アニメ、オタク文化など、「クールジャパン」と世界から評価される現代文化も、勤勉で礼儀正しい優等生が生み出したものではない。むしろ、社会から低俗、キワモノなどのレッテルを貼られ、後ろ指を指されてきたものだ。社会の「規範」「道徳」などへの反発が爆発的なエネルギーを生み、優れた文化を生み出しているといえないだろうか。
また、日本が世界に誇る「ものづくり」も、礼儀正しさ、勤勉さだけから生まれたものではないだろう。本田宗一郎、盛田昭夫などの個性的な起業家は、時に役所の行政指導や規制に逆らって、世界的企業を築き上げた。現在でも、世界的な企業買収を繰り返す孫正義のソフトバンク、「英語公用語化」を打ち出した楽天、ユニクロなど日本型の慣習を打破する企業が急成長しているのだ。役所から礼儀正しさを褒め称えられる企業が成長したという話は聞いたことがない。
歴史的に見れば、日本が興隆したのは「元禄時代」に代表されるように、庶民による多様な文化が花開いた時代だ。世界が認める「日本の美しさ」は、既存の常識に捉われず、自由な発想でそれを破壊するエネルギーを持つ多様な人材が、次々と多彩な分野に出現し、新たなものを生み出して、国に活力を与え続けてきたことだ。