米国と欧州で、金融危機が再燃している。バンク・オブ・アメリカには米国政府が追加支援を決め、シティグループは全世界にまたがる多様な事業を2分割、コアとノンコアに分類して大リストラを急ぐ。次なる政府の救済先はウェルズファーゴかステートストリートかと、市場では名指しで憶測が飛びかう。欧州に目を転じても、英国を始め銀行群の経営悪化は著しく、各国で株式市場の混乱が続いている。

 だが、“金融危機の再燃”という表現は適切ではなく、正確には“継続”というべきであろう。深刻な危機が続いていても、私たちは絶えずそれを認識しているわけではない。例えば、この100年に一度の危機のさなかでも、2008年3月頃のように、米政府によるベアスターンズの実質救済によって危機が去ったと市場が安堵し、株式市場や債券市場が回復、安定するという事態さえあった。深層が見えないあるいは見ようとしなかっただけで、危機は深く、広く進行していた(私はこのとき、危機は去ったとコラムに書き、見通しを完全に誤った)。

  同じことだった。昨年、米議会で金融安定化法が成立し、公的資金7000億ドルの半分を多くの銀行の資本注入に使って金融システムの劣化を食い止めたという安堵と、オバマ政権への期待による高揚感に駆られている間、さらに危機は深く、広く進行していたのだった。

  悲観的だが有力なシナリオを、つかの間忘れていたに過ぎない。サブプライムローン関連の証券化商品の暴落によって、金融機関は多大な“不良資産”を抱えた。金融システムの動揺は実体経済の悪化を招き、今度は金融機関の貸出債権の焦げ付き――法人、個人問わず――、“不良債権”を急増させる。7000億ドルでは不良資産の償却はできても、不良債権処理原資にはとても足りない、という指摘は金融安定化法案の審議中にもなされていた。その懸念どおりに、金融システムは悪化しているのである。