組織のトップに必要な能力は何だと思いますか?「才覚あれど、天下を掴めなかった男」と「凡人でありながら、天下を掴んだ男」の対比から、読み解けるものがあります。世界史5000年の歴史から生まれた「15の成功法則」を記した『最強の成功哲学書 世界史』から見ていきましょう。

歴史に学ぶ「トップの才覚」。
才能あふれる項羽、だらしない劉邦。天下を獲ったのは?

 紀元前3世紀、始皇帝が打ち立てた秦は、彼の死とともに崩壊していきましたが、その中から、項羽と劉邦という2人の人物が頭角を現しました。この両雄を比較してみると、

• 項羽 … 楚の将軍の家柄。優れた体躯に恵まれ、ひと通り兵学を学び、勇猛で万夫不当の猛将。部下にも慈悲深く、惚れた女に一途。

• 劉邦 … 本名すらよくわからない農民の出。武勇拙く、兵法にも政略にも政治にも疎い。強い者にはへりくだり、弱い者には傲慢で、女にだらしない。

 このように「才覚」という観点から見れば、どう見ても天下を獲るのは項羽のほうが妥当に見えます。しかしながら、現実に天下を獲ったのは劉邦です。なぜこうなってしまったのでしょうか。

“組織のトップに「才能」はいらない”<br />優秀なリーダーほどハマる落とし穴とは?組織のトップには、どんな能力が求められるのでしょうか?

 その答えは、大元帥の韓信が劉邦に述べた言葉の中にありました。彼は、項羽では天下を獲れない理由を2つ挙げました。それが「匹夫の勇」と「婦人の仁」です。韓信曰く。

「項王(項羽)は、彼自身が万夫不当の猛将(将才)なれど、それゆえに優れた将軍を信じてこれに任せる(君才)ということができません。これはただの匹夫の勇にすぎませぬ」

 つまり、項羽には「将才はあれど、君才がないため天下の器に非ず」というわけです。

トップに必要なのは、
将才ではなく、君才

 この「将才と君才」については、また別の話があります。あるとき、劉邦が「自分はどれほどの将の器であるか」と韓信に問うたところ、韓信は「そうですな。陛下ならざっと10万といったところでしょう」と答えました。では汝は如何にと劉邦は続けて問いました。

「私なら100万の兵であろうが自在に操れます」
「なんじゃと!?余が10万で、そちは100万か。ならばなぜそちは余の臣下に甘んじておる?」

「私は兵を操るのに長けた“兵の将”にすぎません。しかし陛下は、将を使うのに長けた“将の将”です。兵の将では、将の将に及ぶべくもありません」

 つまり、「兵に将たる才(将才)」と「将に将たる才(君才)」はまったく別物であって、組織の頂点に立つ者は、部下を信頼して使い、また部下から慕われていれば(君才)、他の才(将才)などなくてもかまわないということです。というより、なまじ将才があると、かえって君才の邪魔になるくらいです。

 項羽は、范増・陳平・韓信という錚々たる人材を擁していたにもかかわらず、誰ひとり使いこなすことができず、ひとり、またひとりと項羽の下を去っていきました。これでは、彼が天下を獲れなかったのも自然の理なのです。

なぜ項羽から、人が去っていったのか?

 とはいえ、確かに項羽は、敵に対しては冷酷・残忍・無情で、鬼神の如く怖れられていたものの、そうでない者に対しては礼儀を以て臨み、慈悲深く、ときにやさしい言葉もかけ、思いやりも見せました。

 つまり、家臣たちから慕われる要素は充分持ち合わせていたわけです。にもかかわらず、項羽の下を次々と家臣が去っていったのは、「君才に乏しい」だけでは理由として弱いものがあります。そこにどんな差があったのでしょうか。項羽には、致命的な欠点がもうひとつあったのです。