昨年、歴史的な政権交代を果たした民主党だが、マニフェストと現実とのギャップに直面し、政策運営に苦戦を強いられている。一方で、野に下った自民党にも、半世紀に渡って日本の政治をリードしたかつての気概は見られない。16年前に自民党を飛び出し、「二大政党制」を目指して尽力してきた渡部恒三・前民主党最高顧問は、「党の垣根を超えて政治を根本的に見直すべきだ」と指摘する。「平成の水戸黄門」と呼ばれる渡部議員が力説する“日本の国益”とは?(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也、撮影/宇佐見利明)
わたなべ・こうぞう/1932年生まれ。福島県出身。早稲田大学卒。福島県議を経て、69年衆議院議員に初当選。現在まで14回連続当選を果たす。自由民主党で厚生大臣、自治大臣兼国家公安委員長、通産大臣、国会対策委員長などを歴任し、「竹下派七奉行」の1人に数えられる。93年自民党を離党して新生党立ち上げに参加し、細川・羽田政権を実現。その後無所属を経て、2005年より民主党に参加。96年より7年間衆議院副議長も務める。民主党では国会対策委員長、党最高顧問(09年9月まで)を歴任。 |
──昨年8月に行なわれた衆議院議員総選挙において、民主党は絶対安定多数を越える308議席を獲得し、戦後初となる本格的な政権交代を実現させた。今回の政権交代をどのように感じているか?
正直、あの総選挙で自由民主党が惨敗し、これほどの窮地に立たされるなどとは、思わなかった。
自民党時代には、歴代内閣の中枢に籍を置き、内側から政党政治を見つめ続けてきた。田中内閣や竹下内閣では、組閣に深く携わった経験もある。
他にとって変わる政党がないことから、自民党の一党独裁体制は永遠に続くのではないかと思われた。ただ、ロッキード事件やリクルート事件などを経て、国民の自民党への不信感は積もりに積もっていたのだと思う。
それが爆発したのが、宮澤内閣が不信任案決議で倒れた1993年。解散総選挙を経て、七党一会派の連立による政権交代が実現した。自民党はその後政権に返り咲いたものの、結局凋落に歯止めはかからなかった。
昨年の総選挙では、民主党が過半数を獲得できる確信はあったが、まさか300議席を超えるとは思わなかった。この状況は、民主党が勝ったということではなく、「自民党が終わった」と言ったほうが正しいだろう。
──かつて「竹下派七奉行」と呼ばれた渡部議員が、政権交代を目指して古巣の自民党を離党してから、実に16年ぶりの本格的な政権交代となった。これにより、日本に「二大政党制」は根付いたのだろうか?