校内にある日比谷高校創立百周年記念資料館。元は明治時代の実業家・村井吉兵衛邸の美術品倉庫で、旧校舎の模型や見取り図など創立以来の貴重な資料が収蔵される

都立高校の個性とマネジメント力

――西高の副校長もされていましたね。日比谷との違いはどのあたりにありますか。

武内 西の方が多少ワイルドですね。学校行事にものめりこんで行う傾向があります。日比谷では、「一日の中の“文武両道”を大事にしてください」と生徒に呼びかけています。これは、学校行事のときでもどんなときにでも、「学び」の部分を忘れないでほしいということなのです。どちらの学校にも資質・能力の高い生徒が集まっています。

――日比谷は立地がいいですね。どこからも来やすい。

武内 受験生の動向は、新型コロナ禍でも変わらなかったですね。都内全域から生徒は集まっています。

――都立の難関校にも個性がありますね。

武内 クラス編成にしても、日比谷は高2でクラス替えをしますが、高3はそのままです。西は毎年クラス替えをしますが、国立は3年間一緒です。

 日比谷では学年主任は担任も兼務しますが、その人選には熟慮を重ねます。校長は人事と予算を決めることができますから、核になる人を主任に抜てきします。また、教科主任も4年、5年と同じ人を指名し続けることもあります。

――私立と異なり、公立は人事異動で先生が動かれますね。都立の中高一貫校でも、その先生が異動してしまうことを考えると、受験を躊躇(ちゅうちょ)する保護者の動きもあるようですが。

武内 都立高には公募制度があり、進学指導重点校など30校ほどについては、書類選考と面接を通ると、その中のいずれかに配置されます。21年度の日比谷には配置がありませんでした。これとは別に、学校公募というのもあります。主任教諭クラスを一本釣りするようなイメージですが、こちらも21年度はゼロでした。

 私の赴任時には男性教員が圧倒的多数で、女性教員は9人だけでした。今では20人近くいます。生徒に寄り添える身近な存在が若手教員だと思いますが、20~30代も今は16人います。そういう意味では普通の都立高のような状況です。

――こうした多様な先生方をどのようにマネジメントしていったのですか。

武内 校長に赴任して最初の1年間は、先生方には私への警戒心があったようです。きちんとビジョンを示して、やるべきことを明確に伝え続けることで、ようやく組織的な教科指導や学校運営ができるようになりました。

 授業に関して個々の先生に力量の差があっても、チームとしての力量が発揮できるようにする必要があります。赴任1~2年目の時一番困難だったのは、教科ごとに進度もバラバラで自由に授業を行っている状況をどうするかでした。

 そのままでは、先生が異動で入れ替わると駄目になります。同じ内容と進度にして、到達度を測定するための定期考査問題を共通化していく。最初は先生方の抵抗感もあって、この仕組みを作り上げるまで5年半かかりました。

――長期的な取り組みでないと難しいわけですね。校長に就任されてからどのくらいたちましたか。

武内 今年で9年目です。

――3回、全体を回したわけですね。生徒を伸ばすものは何か、もう少し教えてください。

武内 日比谷の先生方は面倒見が非常にいいと思います。生徒を取り巻く状況を把握して、生徒を支えています。先ほどお話しした教科主任会は、年に6~7回、生徒一人一人の学力のバランスを見ながら教科を横断して生徒に適切な助言を行い、それを共有するようにしています。特に高3では年に2回、進路指導のためのケース会議を行っています。

 夏前には全学年について、生徒個々の評価に関して情報交換します。生徒と担任の面談は年に4回で、うち1回は保護者との三者面談となります。先生方はこうしたことに時間を取られて苦しいのですが、頑張っていただいています。

 一方で、一番生徒の力を伸ばしている要因は何かと言えば、生徒同士の横のつながりだと思います。生徒はあくまでもチャレンジャーであり、最後まで自分の意志を貫こうとしています。そのときにお互いに力をもらって高め合っているわけです。

※第1回はこちら