水木しげる、甘いもの好きでも“無病”のワケイラスト/びごーじょうじ

 『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』をはじめ多くの作品を残した漫画家、水木しげる。日本文化の特異的創造である〈妖怪〉に命を吹き込み、日本人に再発見させるなど、功績についてはあらためて語るまでもない。書き込まれた背景にデフォルメされたキャラを融合させた画風は今でも新鮮だ。

 水木は自伝を多く残していることもあって、その半生は広く知られている。少年時代に「のんのんばあ」という老婆の影響で妖怪に興味を持ち、戦争では一兵士として南太平洋の激戦地ラバウルに送られ、空爆により左腕を失う。帰国後、美術学校を経て、紙芝居作家、それから漫画家になり、六十年以上の画業を続けることになる。九十一歳で新連載をはじめるなど長寿者だった水木の創作欲は衰えることがなかった。

 長寿の理由は一般的に遺伝と考えられている。たしかに水木にも二人の兄弟がいるが、それぞれ長寿者だ。しかし、それだけが理由ではない。北欧で実施された双子を対象とした研究によると長寿における遺伝素因は25%ほど。残りの75%は生活習慣などの環境素因とされている。

 では、水木はどんな生活を送っていたのか。食生活では「人並はずれて胃の良い家系に生れた」「軍隊にいた時も腹が痛くなったことはなかった」と言う彼は胃腸が丈夫な健啖家だった。

 自らの食生活について語った著書『ちゃんと食えば、幸せになる』によると90歳の時点で食事は1日2食におやつ。酒を一滴も飲まない水木は甘いものに目がなく、ざらめ煎餅やどら焼きなどお菓子をたくさん食べていた。季節の果物も好きだったという。