私たちはブルマーの文献をかき集め、卒業論文に仕立て上げ、ついでにホームページまで作って紹介した。素人仕事のブルマーページでも特定方面では高い評価を得て、いくつかの成人雑誌で紹介して貰えた程だ。とは言え、我々は卒業するとあっさりブルマー道を捨てて普通の女子としての社会人人生を歩み始めたのであった。山本先生からブルマー研究が続いているよとたまに耳にすることはあったものの、ことさら首を突っ込もうとは思わなかった。

 そこへ、16年越しの出版の報せである。私たちがブルマーをすっかり忘れてキャッキャウフフで日々呑気に暮らしている傍で、先生は10年以上もコツコツとブルマー研究を続けてらしたのだ。これが研究というものなのか。学者の生き様を見せつけられた感じがする。

 さて、遠回りしたが本の内容である。本書はタイトル通り、ブルマーにまつわる「謎」を一つ一つ紐解いていくものである。

“現象自体は誰もが知っているのに、その経緯については誰も知らない。こういう事柄には案外、大事なことが隠れているのではないか。”

 先生はこのような思いから、ブルマーを社会学の研究対象に据えた。そして急速な発展と、ある時期からあっという間に衰退してしまった理由へ迫っていく。

ブルマ―が日本全国至るところで
履かれるようになった背景 

 つまびらかになっている事柄から、まず丁寧に整理していく。事実は事実として捉え、言説はその根拠の妥当性を探っていく。新聞雑誌の記事、出版物、映像、体育の着衣としての先行研究等は存在するものの、なぜブルマーが普及したのか、そして衰退したのかという肝心の事までは中々姿を現そうとしない。ところがその過程、第2章でとある事に気付く。この章は先行研究の再構築であり、その発見も一見するとごく当たり前の事柄でしかない。しかしその小さな気づきが、後にブルマーの全容を解明するための重要な鍵になるのだ。

 続く第3章から6章におけるブルマーの急速な普及に至るまでの謎解きは、驚きの連続だ。人、時代背景、組織の思惑、あの形が受容されるまでの世間の心理…。ブルマーが日本全国至る所で履かれるようになるには、その全てが必要だったのだと納得させられる。

 その一つが、戦争直後、文部省が作成した「新教育指針」である。これによって中高生が「勝利至上主義的な」スポーツから遠ざけられてしまった。それは全国規模での大会の禁止に繋がる。そして、当然といえば当然かもしれないが、全国のライバル達と競い合う機会を持つことができなかった彼ら世代は世界の舞台=オリンピックでも全く良い所を見せられない。東京オリンピックですら惨憺たるものだった。(バレーや柔道では成功したでのはないか?と私個人は思っていたが、それらは当時マイナースポーツだった故、評価に値しなかったのだという。)