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シリコンバレーで考える 安藤茂彌

情報公開を渋る東電が世界を恐怖の底に陥れている

安藤茂彌 [トランス・パシフィック・ベンチャーズ社CEO、鹿児島大学特任教授]
【第42回】 2011年3月19日
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 東日本大地震が発生した3月11日午後2時46分、筆者は東京・新丸ビル6階にいた。それは、いままで経験したことのない激しい横揺れだった。ビルはギシギシと音をたて、6階のレストラン街から皿が床に落ちて割れるバッシャーンという音が聞こえた。天井を見つめた。照明器具、装飾器具が激しく揺れていた。そのとき、まさかさらに大きな揺れが東北地方を襲っているとは知らず、ただひたすら我が身の安全を考えるだけで精一杯だった。

 エレベーターは休止していたが、エスカレーターは動いていた。揺れが弱まる気配を見てエスカレーターに飛び乗った。6階から5階へ、5階から4階へ。地下一階に着いたときに、助かったと思った。東京駅に通じる通路は、繋がらない携帯電話を片手にイライラしている人で溢れていた。地下鉄、JRはすべて止まっていた。駅員は今夜中に復旧する可能性は薄いと言う。

 電話は通じない、交通手段はすべて止まっている。タクシー、バスを待つ人々が長蛇の列を作っている。どうすればよいのか。今晩宿泊できる場所を確保しなくてはならない。ではどのホテルだ?東京駅近辺にはいくつかの新しいホテルがある。だが多くのホテルはビルの高いところにある。ロビーに到達するには地上からエレベーターで上がらなくてはならない。そのエレベーターがすべて止まっている。

 一階からアクセスできるホテルはないのか?お堀端通りを日比谷に向かってとぼとぼと歩き出した。最初に目に入ったホテルはThe Peninsulaだった。10階の喫煙者用の部屋は空いているという。迷わず部屋を確保した。

 部屋のテレビで震源地の光景を目にした。アイフォンでおおよその情報は持っていたが、現場の光景はショックだった。津波の恐ろしさを知った。11時過ぎにはメールが回復し、午前零時過ぎには電話も通じるようになった。家族の安全を確認できた。

 3月12日(土)、13日(日)は自宅でテレビを見ながら過ごし、14日(月)に予定通りシリコンバレーに戻った。帰りの航空便はいつもよりアメリカ人で混んでいた。アメリカ人の日本脱出が始まっているのか。

 シリコンバレーの自宅で見るテレビのニュース番組は日本の地震の報道一色である。最大の関心事は福島の原発である。爆発、火災が起きるたびにアメリカ人がテレビに釘付けになる。日本のニュースがそのまま画面に現れるので、アメリカと日本でニュースに遅れはない。英語の解説付きなので、アメリカ人はいま日本で何が起きているのかを瞬時に把握している。

 CNNはアンダーソン・クーパー、サンジェイ・グプタ等複数の記者を仙台に派遣し、現地からライブ中継している。彼らとMITの原子力専門家ジム・ウォルシュ博士がテレビ上で連携して報道している。ウォルシュ博士は日本から発信される原発の現況情報があまりに少ないので、いま何が起きているのかがわからないと不満をぶち上げている。推測と断わったうえで、「非常に深刻な状況が続いている」と話している。

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安藤茂彌 [トランス・パシフィック・ベンチャーズ社CEO、鹿児島大学特任教授]

1945年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、三菱銀行入行。マサチューセッツ工科大学経営学大学院修士号取得。96年、横浜支店長を最後に同行を退職し渡米。シリコンバレーにてトランス・パシフィック・ベンチャーズ社を設立。米国ベンチャービジネスの最新情報を日本企業に提供するサービス「VentureAccess」を行っている。VentureAccessホームページ


シリコンバレーで考える 安藤茂彌

シリコンバレーで日本企業向けに米国ハイテクベンチャー情報を提供するビジネスを行なう日々の中で、「日本の変革」「アメリカ文化」など幅広いテーマについて考察する。

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