大地震、大爆発、巨大ハリケーン、テロ攻撃……。気鋭のノンフィクション作家、レベッカ・ソルニットによれば、世界の災害史を振り返ると、危機に直面した人間社会の行動にはある共通項が見出せるという。それは、パニックに陥る少数派のエリートがいる一方で、見ず知らずの人に水や食料そして寝場所を与え、時として命すら投げ出し助け合う普通の市民の姿である。ソルニットは、なぜこのユートピアを平時に築くことができなのかと問題提起する。東日本大震災後に、世界の知識人のあいだで注目を集めている「A PARADISE BUILT IN HELL」(邦訳『災害ユートピア』)の著者に話を聞いた。
(聞き手/ジャーナリスト 瀧口範子)
――あなたは著書「A PARADISE BUILT IN HELL」(邦訳『災害ユートピア』亜紀書房刊)の中で、大災害後の一時期に、人々が自分の利益は二の次に互いを支え合う、まるでパラダイスのような理想的社会が生まれることを書いている。そうしたユートピアはどんな災害の後にも立ち現れるものなのか。
私は、戦争などの人災そして自然災害の後に(人間社会に)何が起こったのかをつぶさに調べてこの本を書いたが、第二次世界大戦のような最悪の人災の後も、そして(2005年夏に米国南東部を襲った)ハリケーン・カトリーナのような自然災害の後にも、似たような「束の間のユートピア」があったことを知った。普段は忘れている互いのつながり、第三者を介さない直接性、人生の意味を災害後に人々は共通して見出していたのだ。
もちろん、災害自体は悲劇だ。だが、それはまるで「革命」にも似ていて、人々は突然未来が大きく開けたことを感じ、何かが可能であることを、驚きやパッション、強烈な思いを持って語るのだ。それは、自分の生活、アイデンティティ、コミュニティがこれまでとはまったく異なるものになり得る、という感覚だ。怖いことでもあるが、同時に解放的なことでもある。
――それは、あなたが取材した被災者がみな等しく感じたことなのか。
もちろん人によって違いはあった。ハリケーン・カトリーナの時には、これを深い意味のある体験だったと感じた人もいれば、最大の悪夢だったと思った人もいた。その両方だったと考える人もいた。
私の著書に対しては、よく「本当に100%パラダイスなのか」「全員がハッピーに感じるのか」と疑ってかかる人がいる。だが、私が伝えたかったのはそんなことではない。災害は起きないほうが良いに決まっている。ただ、事実として災害の後には“地獄の中のパラダイス”のような“束の間のユートピア”が出現するということだ。それはまるでポケットのような可能性の空間だ。わたしたちに何ができるのか、わたしたちは何者なのかについて、深く考えさせ、そして教えてくれる。