――解答です

 今回の落とし穴は、「現状維持バイアス」(Status quo bias)です。これは、よほど何とか変えなくてはならない、という強い動機がない場合に、「まあ、今のままでいいか」と考えてしまうバイアスです。往々にして、企業においても、変革を妨げるバイアスになることがあります。

 今回のケースでは、夫は、今の住まいにさまざまな問題があるにもかかわらず、おそらく本人にとっての影響がそれほど身近に感じられなかったせいか、奥さんの希望を退け、引越ししないという意思決定をしようとしています。言い換えれば、絶対に引越しをしなければならないと感じるほど、強い問題意識を持っていないということです。

 現状維持バイアスが起きる背景にはさまざまな人間の心理があります。その1つで、現状維持バイアスと関連してよく言及されるのが、「授かり効果」(Endowment effect。「保有効果」とも言う)です。これは、自分がすでに持っているものを高く評価し、それを失うことによる損失を強く意識しすぎて、手放したくないと考える傾向です。交渉術などの教科書では必ず出てくる概念です。

 今回のケースであれば、夫は、現在の住居や街への慣れや、そこで構築した人間関係、あるいは近所の店のポイントカードなど、現状を維持しないと失ってしまうものを過度に高く評価し、変化を避けた可能性があります。

 最近の研究では、あるものを手放す代償として受け取りを望む最小値(受け取り意思額)は、それを手に入れるために支払っていいと考える最大の値(支払い意思額)の約7倍、つまり、同じものであっても、手放す際は手に入れる際の7倍の価値を感じるとされています(この数字は、研究論文によって多少幅があります)。それだけ人間は、不確実な未来のものより、確実な手元のものを好むのです。

 損失回避(Loss averse)も現状維持バイアスや授かり効果と連関して言及されるバイアスです。これは、不確実性のある時、人間は、ある金額のものを得る喜びよりも、同じ金額のものを失う悲しみをより強く感じるというものです。