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父と娘の就活日誌

私たちの父娘関係――娘とは相容れない異なる文脈に生きている

楠木 新
【第5回】 2007年11月20日
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 この連載も5回目になった。読者の方から「娘とよくコミュニケーションがとれるなぁ」「小さい頃から話していたの?」などと聞かれる。今後、就活が佳境に入る前に、少し私と娘の関係について触れておきたい。

 娘の裕美は、私が31歳の時に大阪で生まれた。2歳の時に転勤で東京に住み、小学生になる直前に再び大阪に戻った。それ以降は、関西圏の勤務が続いたので、裕美は転校もなく、私も単身赴任の経験はない。家族は妻と次女との4人家族だ。
 
 小さい頃の裕美との一番の思い出は、94年の阪神大震災、小学校3年生のときだ。家が崩れるような激しい揺れの中で、裕美は、1人だけ別室のコタツに中にいた。裕美を抱きかかえて寝室に連れ戻った時の記憶は鮮明だ。その後、数日間は、水道もガスも使えない中で家族一緒にまとまって暮らした。

 姉妹の学校行事には結構顔をだしたが、裕美は「お父さんは、毎晩帰りが遅く、寝る時には家にいなかった」という。小学5年生の時に、課の行事でバーベキューパティーに参加した。私が「課長、課長」と呼ばれるのを聞き、裕美は「えっ、お父さんは課長なの」と驚いた。「何だと思っていたの?」と聞き返すと、「平社員」。周りはどっと笑いに包まれた。私が仕事をしているイメージも全くなかったのだろう。おそらく高校、大学になってもそれは変わらなかったと思う。

 私は、金融機関で、非常に順調にやってきたが、40代後半に差し掛かるときに、「うつ状態」で突然会社を休職した。周囲は、上司との人間関係が原因と決めつけたが、それは大きな要素ではなかった。ただ、その理由を論理的にうまく説明をするのは今でも難しい。

 「年度目標ができた」「いくら利益が上がった」など現場から離れた管理職の仕事が、一体誰の役に立っているのかとの思いが募っていた。また父の葬儀で、自分の人生もあと25年かと思うと、こんなことをやっていてよいのかとの迷いもあった。勿論、会社の私に対する評価や今後の職務展望とも無関係ではなかった。また年齢的にも、心身に疲れを感じていた。これらが異動、転勤という環境変化をきっかけに一気に噴出した。

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楠木 新

金融機関に勤務するかたわら、「働く意味」をテーマに執筆、講演などに取り組む。12万部を超えるベストセラーになった『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『就職に勝つ!わが子を失敗させない「会社選び」』(ダイヤモンド社)など著書多数。近著に『人事のプロが教える 働かないオジサンになる人、ならない人』(東洋経済新報社)がある。


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働く価値観が多様化する中、超売り手市場の環境下で、大学生はどのように企業選択をしていくのか。就職活動に臨む大学3年生の娘と父とのリアルな対話を通して、実状に迫る。

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