大企業で止まらない“外注頼み”
本業を疎かにする弊害
こんな社員が実在するという話を見聞きしたことはないだろうか。
プログラムを一度も書いたことのないSE。
戦略作成はコンサルタント頼みの経営企画部員。
文章をまったく書かない編集者。
教育制度の企画運営を全部外注する教育担当者。
代理店のインセンティブ(奨励金)プログラムを作るだけの営業本部員。
残念なことにこれは笑い話などではなく、大企業のあちらこちらでお目にかかる現象である。すでに、大企業の社員は見事なまでに外注頼みになっているのだ。
もともと外注には2系統ある。
一つは、重要ではあるけれども、その仕事が組織の中で常にあるとは限らない仕事の外注である。フルタイムの従業員を抱えておくほどの仕事量がないものとも言える。
あのマネジメントの哲人、ドラッカーもこう記している(『経営者の条件』、ダイヤモンド社より引用)。
≪時おり、あるいは問題に応じて必要になる専門家は、組織の外においておくべきである。高度な技能をもちながら仕事のない専門家を抱えることは組織全体の士気に関わる。そのような専門家は、必要に応じて料金を払って相談にいくほうが安上がりである。常時抱えておくことは有害なだけである。≫
弁護士や特定領域の専門家などはここに該当する。彼らのことは、企業もそれなりにうまく活用していると思う。
もう一つは、価値構築において、それほど重要な仕事ではなく、外注したほうがコストが抑えられる、または複数の会社を競わせるなどして、切り替え可能な状況にしておくことによるメリットが得られる場合である。
こちらはいわゆる下請けへの外注である。競争力の維持のために、製造部門から始まり、いまでは管理部門においても、アウトソーシングという名のもと、どんどん外注されるようになった。
仕事の内容がそもそも違うとも言えるが、プログラムを一度も書いたこともないSE、文章を書かない編集者、箱だけ作って全部外部任せの教育担当者などの外注はこちらと言えるだろう。