「ホモマゾ臭」に堪えきれず
女性や外国人は逃げ出す

 この種の差別は、企業のすみずみにはびこっていますから、いわば「オヤジにしか堪えられない空気に満ちた空間」をつくり出します。

 こういう「空気」は、単に気分の話ではありません。2年ほど前の冬、長野県のとある村で100人を越える高齢者を中心とする方々に講演を行いました。寒い時期ですから、部屋を閉め切ってストーブをつけていましたが、講演終了後、同行した女性編集者と話していて「全然臭くなかった」ことに気づきました。

 彼女は長野に来る直前、東京・大手町の財界人の集会に取材に行ったのですが、会場の大ホールの階のエレベーターを降りた瞬間、鼻が曲がりそうなオヤジ臭に圧倒されたのだそうです。歳を取ればクサくなるというわけではないのです。生き方、暮らし方で、人が発するニオイは変わるのではないでしょうか。

 心理的のみならず、具体的に「オヤジ臭」が蔓延している会社なんて、女性や外国人は呼吸困難に陥ります。彼らはこの空気を吸えないので、日本企業に居着かないのです。

 日本のオヤジは、「ホモソーシャル」と「マゾ」の傾向を持っています。私は、これをまとめて「ホモマゾ」と呼んでいます。

 ホモソーシャルとは、つるみたがること。日本の男は「同じ何か」を帯びている人が大好きです。本当の意味での人間同士の関係は、情緒的なものであり、「心がつながっている」という感覚にのみ支えられます。これができなければ、“ぼっち”になってしまいます。しかし、健全な情緒のつながりを他者と持つためには、心が成熟している必要があります。

 一方、このような成熟が欠落していると、情緒的関係を取り結ぶことができません。そういうときに、インスタントにつながりをつくり出すのが、「同じ何か」を共有するという関係性です。

 私はこれを「記号の共有」と呼んでいますが、血のつながりや民族というのも、この記号として機能します。「日本人で男性」というのも1つの記号。同じ会社で働いているということはもちろん、同郷だとか、大学が一緒、同じスポーツをやっていたなど、何でもいいので、「同じ何か」を共有している相手であることで、安心してつるむことができるという心理構造があります。もちろんそれは、見せかけのつながりに過ぎません。

 そして、マゾですから、言われたことを、歯を食いしばってがんばるのが大好き。筋が通らない、理不尽極まりない環境で、砂を噛むような苦行をすることこそが仕事であり、同じ苦行をする仲間同士でつるもうというのですから、気持ちの悪いこと、この上ありません。