職場や教育の現場での暴力を肯定しがちな日本の男たち。彼らがそういう発想になった背景には、子ども時代に受けた家庭の暴力がある。(東京大学東洋文化研究所教授 安冨 歩)
妻のフラストレーションは
無力な子どもに向かう
前回(記事はこちら)、女性の社会進出を阻むことが、夫を家庭内で搾取する恐るべき「タガメ女」を生み出す、という事情を述べました。今回は、その最大の被害者である子どもたちに焦点を当ててみたいと思います。
タガメ女のフラストレーションは、夫のみならず、子どもたちにも向かいます。いや、むしろ、無力な子どもたちこそ、最大のターゲットになるのです。昼間のファミレスに数時間いれば、子どもの教育について、ママ友たちのこんな会話が耳に入ってきます。
「あなたが甘いからよ」
「ちゃんと躾けないとダメよ」
「手を上げないと仕方のないことってあるよね?」
たとえば、幼稚園に行く時間なのにグズグズして靴下をはかない、21時に寝させたいのになかなか寝ない、といったことは、どんな子どもだってやることです。そんなとき、怒鳴り声をあげる母親は多いですが、これは「躾という名を借りた暴力」です。
彼女たちの中には、すでに巨大な欲求不満や怒りがマグマのように眠っており、子どもが言うことを聞かない瞬間に噴火します。それは、「躾」と称して子どもに八つ当たりする絶好のチャンスなのです。
考えてもみてください。家庭に閉じ込められた女性は、社会で自分の力を発揮しようにも、その場所が見つからない。夫は社畜と化して仕事漬け。家事と子育てに没頭するしかない環境で、「果たしてこのまま死んでいいのか?」と、鬱屈した腹立ちを抱えるのは当然です。こうして溜め込んだ怒りをぶつける相手として、無力で文句を言わない子どもは、うってつけの存在なのです。たとえそんなことをしてはいけない、といくら思ったところで、無意識の作動は止められません。
もちろん、父親だってハラッサーになり得ます。ただこの国では、いくらイクメンだって母親に比べれば、子どもに接する絶対的な時間数が少ないため、子どもは母親からの影響を大きく受けて育つものです。