見る人が、「自分と同じだ」と思ってもらえることが大事

――それにしても、どうしてあんな感動的な場面に仕立て上げられるのでしょうか。

 見る人が、自分と同じだ、と思ってもらえることが大事なんです。共感できることです。ほろっとさせよう、なんて、こちらがあまり思っていなくても、ほろっとしてくれるんです。

 登場人物の気持ちがわかったりすると、勝手に泣けてきたりするものでね。見る人が共感できるんですね。殺人の場面で、殺す気持ちがわかる、なんてことになったり。

 突飛なことをする必要もないんです。人間はあまりはずしてもいけないものでしてね。劇場で芝居をやると、みんな同じところで笑って、同じところで泣くんです。人間はほとんど同じ気がします。違わないんですよ。

 しかも、イライラして、腹を立てて、悲しくて泣いたりするのに、また見に来たりするわけです(笑)。悲しい気分になるのに、なぜ来るか。共感できるから。共感したいから。人間はそういうものなんですよ。

 やっぱり、奥さんというのは怖いんだ、とかね(笑)。

――どうしてジェームス三木さんは、そういうことが考えつくのでしょうか。

脚本家・ジェームス三木氏インタビュー(後編)<br />「ウサギとカメの話も、<br />負けるはずのカメが勝負を受けた理由が<br />あったはずだと、脚本家は考えるのです」<br />

 人間を突き詰めていくと、根っこは同じだということに気がつくんですよ。ところが、そういう本質がわからない人が多いわけですね。考えることができない。僕はその理由は、五感をちゃんと使えていないからだと思っています。今は視聴覚ばかり重視するでしょう。

 でも、視聴覚では、食事もセックスもできないんですよ(笑)。味、匂い、手触り…。そういうものを人間がおろそかにしてしまったから、退化してしまった。ものを考える力も、後退してしまった。

 昔は、犬や猫くらい五感があったはずなんです。ところが、すっかりダメになってしまっていますね。セックスレスなんてのも、五感を使っていないから、なるんですよ。

――なぜ、こんなことになってしまったんでしょうか。

 世の中が便利過ぎることも問題なんじゃないですか。ドラマを描いていて、一番困るのは、携帯電話なんです。携帯電話で通話しているシーンというのは、本当につまらないんです。

 一対一で面と向かっていれば、顔を見つめたり、目をみたり、そらしたり、いろいろできるわけです。でも、携帯電話が出てくると、ドラマはならない。

 昔は、会おうと思ったら大変だったわけですね。人間というのは、本来はそういうものだったんです。

 関ヶ原の合戦は、勝ち負けの結果が東北に伝わるまでに8時間もかかった。だから、上杉謙信と伊達政宗は戦い続けた。でも、ここにドラマが生まれるわけです。

 時差がなくなったり、便利に伝えられるようになってしまうと、ドラマは味気ないものになるんです。だから昔の話はいい。便利なものがないから。