民進党の山尾志桜里議員が不倫疑惑で離党を余儀なくされた。こうした不倫騒動が起こるたびに、「私生活と仕事は分けて考えるべき」との議論が出てくるが、そもそもなぜ、他人の不倫にここまで厳しい人が多いのだろうか?(モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授 渡部 幹)

山尾志桜里議員不倫問題で議論紛糾
私生活と仕事は分けて考えるべきか?

 山尾志桜里議員の不倫疑惑報道に限らず、この1~2年の間、芸能人や政治家の不倫が取り沙汰されては、「炎上」するということが繰り返し起こっている。

山尾志桜里議員のみならず、日本では多くの政治家や芸能人が、不倫が明るみに出たことで、社会的抹殺にも近い、徹底した制裁を加えられる。その背景にはどんな心理があるのだろうか? 写真:日刊スポーツ/アフロ

 山尾氏については、もともと民進党でも目立つ存在だった上、過去にガソリンのプリペイドカードやコーヒー代の計上問題が取り沙汰されていたこともあって、大きな話題になっている。

 そんな中、山尾氏の政治家としての手腕と能力を考えると、あまり糾弾するべきではないという意見もある。特に山尾氏と昔から交流のある著名人に、その立場を取る人が多い。ベッキーの「ゲス不倫」騒動のときにも、ベッキーと親交のある芸能人の中で、そいういう立場を取る人々がいた。

 要は、議員にしろ芸能人にしろ「仕事をきちんとやっていて、才能もある」ならば、不倫は悪いことだけれど、あまり糾弾するのはよくない、という考えだ。

 だが、そんな呼びかけにもかかわらず、圧倒的多数なのは、ネットを中心とした、彼女らに対する感情的糾弾だ。

 上記のように、議員あるいは職業人としての資質と私生活を分けて評価するべきだ、という意見には、筆者も基本的には賛成だ。だが、もしそれを言うならば、これまで不倫疑惑報道のあった議員や芸能人に対しても、一貫してそういう態度を取らなくてはならない。

 民進党は党として、他党議員の不倫疑惑について容認できないという立場を取ってきた。したがって、山尾氏の離党もやむを得ないというのは理解できる。さもなくば、党として「ダブルスタンダード」を容認するからだ。

 そして残念ながら、スキャンダルが「不倫」に関するものになってしまうと、メディアや個人がどう言おうと「炎上」せざるを得ない。それは、人間の原始的な感情に火をつける出来事だからだ。