日本に行く度に不思議に思うことがあります。それは自虐的ともいえる、自国(自分たちの社会)に対するネガティブな発言があまりにも多いこと、一方で、世界が素晴らしいと讃える日本人社会の良いところ、つまり「世界が恋する日本の美徳」に光があたっていないということです。
「変なネガティブ発言」が
多すぎる!
「縮小、崩壊、斜陽、後退、衰退、低下、老化、不信、内向き、閉塞、孤立、ガラパゴス化、草食化…」日本ではこうしたネガティブ用語が連日飛び交い、その密度も年々高まっている感じがします。
もちろん、構造的な諸問題(経済の不調、政治の混乱、国際社会での相対的地位の低下、可処分所得など家計の悪化、公的債務の増大、社会の高齢化等)と、昨今ますます不透明感を増す世界の金融市場や、3.11後の見えない復興ビジョンの重なりによる国民の不安・危機感・焦燥感・失望感の高まりが背景にあることはわかります。
ただ、それにしても日本では、政治家、マスコミ、評論家から一般市民に至るまで、どうも自分たちの政治・経済・社会に対するネガティブな発言が多過ぎです。しかも、そのほとんどが批判の域にも達しない、陰湿かつ幼稚な誹謗中傷、言葉狩り、愚痴、感情論がたくさん目につく……そんな印象を受けるのは、僕だけではないでしょう。
こうした社会では「自分たちは悪くなる一方だ」という暗示にかかり、“何をやっても駄目シンドローム”に取りつかれる国民が出てきても不思議はありません。また、四六時中こうした大人の「変なネガティブ発言」を聞きながら育つ子どもたちは、将来どんな大人になってゆくのか。想像しただけで恐ろしくなります。