東日本大震災で甚大な被害を受けた日本製紙グループ本社が復興計画をまとめた。紙の需要減と価格低下が止まらないなか、大きな痛みを伴う改革をこの機に打ち出す狙いは何か。

 9月中旬、東日本大震災の津波被害で操業を停止していた日本製紙グループ本社の石巻工場(宮城県石巻市)が一部設備で生産を再開した。

 同じく被災した岩沼工場(宮城県岩沼市)と勿来(なこそ)工場(福島県いわき市)が5月に全面復旧したのに続き、同社の洋紙生産の2割を担う主力工場が約半年を経て再開したことに全社がわき立った。 

 ただし、石巻工場は震災前とまったく同じ姿に戻るわけではない。「将来を見据え生産能力を減らしながら再建する」とかねて芳賀義雄社長が表明していたように、8月、日本製紙は震災を機に「中期復興計画」(図①)を打ち出し、大リストラに踏み出すからだ。

 紙は印刷物に使う洋紙と段ボールなどに使う板紙に大別されるが、今回の計画は洋紙が対象。その内容は洋紙を作る全国5工場・計12台の機械を停止、設備が古く生産性が低かった富士工場(静岡県富士市)はすべての機械を止め生産から撤退する。2012年9月末をメドに、生産能力を約15%削減、年産436万トンの体制にする。

 同時に、人員削減も敢行。洋紙事業全体の約15%に当たる約1300人(正規従業員約850人、請負従業員約450人)について、雇い止めや希望退職などで合理化を図る。生産を再開したばかりの石巻工場も例外でなく、100万トンあった生産能力を24万トン削減、従業員(協力会社を含む)約100人も整理の対象としている。

 このほかにも不採算製品から撤退し銘柄数を8割に絞ることなどによって、年間250億円のコストを改善、13年度には営業利益620億円を狙う。

 過去最大規模の事業改革に乗り出す理由はほかでもない、需要に見合った生産体制を構築し、値上げを行うためだ。

 紙・板紙の国内需要は縮小傾向にある。11年の紙の需要は05年に比べ約15%減り、1652万トンにまで落ち込む見込みだ(図②)。

 とりわけ洋紙の需要はリーマンショック以降、約20%急減している。新聞や出版物、企業が出す広告や販促物などは電子メディアへの移行も伴い回復が見込めない。

 ところが、日本製紙の洋紙の生産量を見てもわかるように、減少幅は5年間で約10%にとどまるなど、震災前には生産過剰が常態化。というのも、07年前後、製紙各社は相次いで大型設備投資を実施したからだ。洋紙のなかでもビジュアル性の高い塗工紙が当時は例外的に需要が伸びており、海外に打って出ようと増産分を輸出に回す戦略を描いていたのだ。

 なかでも熱心だったのが日本製紙だ。大型船を着けられる専用港を持つ石巻工場を輸出拠点にしようと期待を込めて増強していた。