「親会社や国に縛られるのは嫌だ」
大企業にもサヨナラを言える自由を

メトロールは世界で引く手あまたの技術を複数持つ。写真はエア式精密着座センサ

 メトロールを創業した松橋章は、東京大学工学部を卒業後、光学機械メーカーに就職し、胃カメラの開発という当時の最先端技術の設計に携わった。しかし、技術開発よりも社内政治が優先される大企業病に悩まされながら、測定機メーカーに転職。その後、部下たちに請われてそれまでの技術を試すべく、1976年、52歳でメトロールを起業した。

 当初は一品ものの設計開発を請け負っていたが、利益が出ず、身売りも考えた。そんな中で、工作機械メーカーから工具の位置決めに困っていると相談を受け、機械式の位置決めスイッチを開発。1983年から工作機械業界向けに発売を開始した。

 これが爆発的ヒットとなったが、翌年にある大手電機メーカーが模倣品を発売。クレームも無視され、同社の創業者に直訴して窮地を脱するということもあった。

 創業当時から、章には「世界に通用するブランド製品を持つ」夢があった。メトロールという横文字の社名にしたのも世界を舞台にするためであったという。

 長男の卓司はそんな父を見ていながらも会社を継ぐつもりもなく、製品に関心もなかった。農学部を出て大手食品メーカーに就職、営業としてトップセールスに輝いたり、新規事業に関わったりするなど活躍するものの、大会社の体質にだんだん嫌気が差し、退職すべきかどうか章に相談したことがきっかけで、98年、メトロールに入社した。大会社が性に合わないのは親子ならではのようだ。

 入社当時のメトロールの売上は5億円程度で、海外取引は韓国と台湾の工作機械メーカーに多少輸出している程度だった。卓司は海外展開を最初から考えており、当時普及が始まったばかりのインターネットを使って英語のダイレクト販売サイトを立ち上げた。部品メーカーとしては非常に早い取り組みだった。

「私は会社を経営するならば、特定の企業や国に縛られるのは嫌だと思っていたんです。限定的な取引先しかなければ、一方的な値引きを要求され、下請け的にならざるを得ないからです。条件が合わなくなったとき、どんな大企業とも『サヨナラ』できる自由がほしかったのです。だから、真似はされても決して真似しない独自の製品を持ち、ちゃんと利益の出せる会社にしたいとずっと考えてきました」