「人間は動物である」ことを踏まえた初等教育を

 ロンドンに駐在していた頃、ほんのわずかだが、日本人学校の運営に関与していた時期があった。その時、英国人の教育者に聞いた話が今でも忘れられない。

「初等教育では、まず、生徒を一対一で立たせて顔を向き合わさせることが大切だ。そして、尋ねる。『前にいる人は皆さんと同じですか、それとも違いますか?』これをクラスの全員が向き合うよう、何度も何度も繰り返す。このプロセスを通じて、生徒は、『人は皆違う』ということを体感する。それが分かれば、次に、顔形が違うのだから、考え方や感じ方も人によって当然違うということが自然に会得される。それが分かれば、自分の意見や感じ方を、相手に伝えること、コミュニケーションの大切さも自ずと分かってくる。このように人は一人ひとり、皆違う、だからこそ自分の思いをはっきり述べてコミュニケーションをとらなければこの社会は成立しない、このことさえ子どもたちが分かれば、後はqueue (並ぶこと)さえ教えればそれで十分だ」

「その次は野山で体を鍛えて、躾を行う。躾をされていない子どもは犬にも劣るのではないか。だから、高級レストランは(犬を受け入れても)子どもは受け入れないのだ」

「その後は、詰め込めばいい。体が出来ていて、自分の考えをはっきり述べることが出来さえすれば、いくら詰め込んでも害にはならない」

 ここに初等教育の要諦がほとんど余すところなく、述べられていると思うのは筆者だけだろうか。

 人間は15万年ほど前、アフリカのサバンナで誕生した、比較的新しい動物であり、人間のほとんどすべてを司る脳の構造は、この1万年ほど、ほとんど進化していないと言われている。そうであれば、人間の成長にとっては、原初の環境に身を置くことが何よりも大切なのではないだろうか。すなわち、裸足で野山を駆け巡る、池や川で泳ぐ、子ども同士で取っ組みあって喧嘩をする等々である。これらすべては、わが国の都市部ではなかなか実現が難しい事柄である。したがって、小学校については、もっともっと林間学校や臨海学校のウェイトを高めるべきではないか。

 また、小さい子ども同士の喧嘩や殴り合いは、ある程度は、容認してもいいように思われる。人間は、極論すれば、子ども同士の喧嘩で、殴られた痛み(感覚)を通して、手加減することを覚え、相手の肉体を尊重することを覚えていくのである(ただし、大人が子どもにふるう暴力は論外であって、これは厳しく徹底的に取り締まる必要がある)。小さい頃によく喧嘩をした人は、おそらく大人になればDVや暴力とは無縁の人に成長するのではないか。およそ人間が動物であることを忘れた初等教育には意味がないと考える。