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日本一のチームをつくる
【最終回】 2011年11月18日
著者・コラム紹介バックナンバー
藤井純一 [北海道日本ハムファイターズ前代表取締役社長]

誰もが楽しめる「ボールパーク」へ
生まれ変わった組織――北海道日本ハムファイターズ

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プロ野球とJリーグの両方で社長を務めた初めての男、藤井純一氏による集中連載もついに最終回。藤井氏が地域密着の指標としてもっとも重視していた観客増員をいかにして実現したのか? そして、その先に目指したものとは? 北海道日本ハムファイターズはこうして生まれ変わった――。

アイデア満載のチケット

 最初はさかんに発破をかけないと動かない社員たちだったが、取り組みかたが変わると一気に変貌するものである。

 若い社員からは様々なアイデアが飛び出した。特にユニークなのが、チケットの販売方法だった。先に述べたとおり、ドームには様々な観客が来る。年齢層も幅広く、生活スタイルもそれに伴うニーズも多岐にわたっている。それぞれの層に合わせたサービスの細分化が必要だった。

 まず、地域の人々に喜んでもらうことを主眼として生まれたのが、その名も「なまらチケット」。北海道の言葉で「すごいチケット」という意味である。居住地、あるいは勤務先のエリアによって、日替わりで良い席に格安で座れるしくみになっている。たとえば「北広島市・恵庭市民デー」には、市民はなまらチケットによって1500円でSS席に、そこが満席になればS席に、と優先的に良い席に陣取れる。この調子で、翌日は「江別市・石狩市デー」、その翌日は「札幌市豊平区・手稲区デー」と日替わりでエリアが変わっていく。様々な地域の人々に野球観戦を楽しんでいただきたいがためのシステムだ。

 働く人向けに考案されたのが「730(ナナサンマル)チケット」。19時半以降に売り出される半額チケットである。大多数のビジネスマンは、18時のプレイボールまでに球場に来ることはできない。しかし19時台であれば、十分に間に合う。会社帰りに「今から野球を見に行こう!」と思ってもらえるきっかけ作りを目指したサービスだ。

 好評を得たこのチケットは、2008年から「715(ナナイチゴ)チケット」と改名し、開始時間を19時15分に前倒しした。試合の短時間化が著しくなったためである。特にダルビッシュの登板日は試合運びが早く、730チケットで入ると試合はすでに中盤戦、来たかと思えばあっという間に終わってしまう、といったこともあった。そこで開始時間を早め、よりたっぷり、しかもお得に観戦できるようにした。

 曜日ごとに対象を変えるサービスも導入した。「シニア&学生デー」、「レディースデー」、「ファンクラブデー」、「メンズデー」と日替わりで、チケットを半額にする。この中で、とくに人気が高いのはレディースデー。というのも、ファイターズは新庄・ダルビッシュの入団以来、非常に女性ファンが多いのである。現在も、来場者の55%は女性が占めている。

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藤井純一 [北海道日本ハムファイターズ前代表取締役社長]

1949年大阪府生まれ。近畿大学農学部水産学科卒業後、日本ハムに入社。京都・奈良の営業所を経て、本社へ。営業企画、広告宣伝を経て、1997年、Jリーグクラブのセレッソ大阪(大阪サッカークラブ株式会社)取締役事業本部長に就任、2000年に同社代表取締役社長。
一旦本社に戻った後の2005年、株式会社北海道日本ハムファイターズ常務執行役員事業本部長に就任。翌年より代表取締役社長。日本一(2006年)という成績面だけでなく、経営の黒字転換、本拠移転からの地域密着という難しいミッションを中心的に進めた。現在は、近畿大学経営学部教授。


日本一のチームをつくる

2004 年、日本ハムファイターズは、本拠地を札幌ドームへ移転した。そのファイターズに黒字転換と地域密着というミッションをもって送り込まれたのが、以前にJ リーグのセレッソ大阪の社長を務め、赤字だったクラブの経営を軌道に載せた藤井純一である。
彼はセレッソ大阪での経験を生かし、様々なアイデアを繰り出した。その裏でコスト削減にはより厳しい目を持った。その結果、2006 年以降、観客動員数は160 万人、183 万人、187 万人、199 万人と増え続けた。そして、2006 年の日本一を経て、チームも強豪に変貌した。
本稿では、藤井氏が北海道日本ハムファイターズで地域密着のミッションを成功させた軌跡、それを支えたセレッソ大阪での経験の一部を紹介する。

「日本一のチームをつくる」

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