「脱官僚」が招いた日本の戦略機能低下
野田政権でも欠落は十分是正されていない

 連載第1回は世界の変動、第2回は日本の戦略の基本をどう考えるべきか概観したが、今回は戦略を形成する日本の体制について考えることとしたい。

 民主党政権となって2年を超えるが、鳩山、菅という二代の政権は政権交代を実現した国民の期待に応えることができなかったというのが、大方の評価であろう。期待外れの最大の要因は、政権の政策実行能力が十分でなかったことだと思う。

 民主党内の親小沢、反小沢の政争やねじれ国会が、政府の政策実現能力を損ねたことは事実であろうが、それ以前に、民主党政権は政策を実現する戦略を持たなかった。むしろ、戦略策定機能がなかったと言ったほうが良いのかもしれない。

 たとえば、鳩山政権崩壊の原因となった沖縄米軍普天間基地を巡る問題でも「最低でも県外」という声明を実現していくための戦略は、全くといってよいほどなかった。

 常識的に考えれば、総理大臣の声明を実現するために、日本の安全保障政策との関係、沖縄との関係、米国との関係などを考えた綿密な戦略が練られ、米国との交渉協議を含め、政府として具体的な手だてが講じられたはずである。

 このような手だてが講じられた痕跡がないのは、国家の統治機能の欠陥としか言いようがない。このような欠陥は菅政権でも引き継がれ、野田政権でも十分欠陥が是正されたとは言い難い。

 この欠陥は、民主党政権が旗頭とする「脱官僚」「官僚依存からの脱却」の考え方に起因している。「脱官僚」は「政治家だけで決める」「官僚の示す政策ではなく政治家が案出する政策」と解され、本来政策策定や政策実現のための戦略策定に専門的知見を提供すべき官僚は阻害されてしまった。