飲食すれば大小便が出る。しかし停電のため、トイレの局部洗浄機能は使えない。熊篠氏は「大が出たらどうしよう」と心配した。幸いにして、「大」は出なかったそうだ。

 暗くて寒くてすることがないので、熊篠氏は17:30ごろにベッドに入り、ラジオに耳を傾けていた。ベッドは電動ベッドである。熊篠氏はふだん、ベッドをさまざまな高さで利用する。高くして読書用の机がわりに利用することもある。もし、その状態で停電していたら、熊篠氏が自力でベッドに入ることは不可能であったと思われる。幸い、その時の電動ベッドは、熊篠氏がベッドから電動車椅子に移乗した時のままの状態であった。熊篠氏は自力でベッドに入ることができた。

 そのうちに、いわゆる「帰宅難民」の様子がラジオで報じられはじめた。もし熊篠氏が予定通り外出していたら、車椅子で「帰宅難民」になったであろう。

 各自治体は、災害時に障害者の安否を確認して避難などの行動を支援するシステムを提供している。川崎市にもそのシステムはあり、熊篠氏も登録していた。しかし、電話回線のつながりにくい状態が長時間続き、熊篠氏も携帯電話の電源をオフにしていた。結局、そのシステムを利用した連絡は、来なかったのか、来ても通じなかったのか判然としない状態であったそうだ。

 熊篠氏は、「宮前区の福祉課の職員の人数は5人か10人くらいだから、人数を考えると対応できっこないんですよ」という。

 ふだんヘルパー派遣を受けている介護事業所からの連絡もなかったそうだ。介護事業所は、どこもギリギリの少人数でやりくりしているので、このような非常時に対応する余裕はないことが多い。致し方ない事情ではあるのだが、結局、熊篠氏の安否を公式には誰も確認できなかったということになる。

 電気の供給は、22:00ごろに復旧した。熊篠氏は「停電はそんなに長くは続かないだろう」と楽観していた。その後の計画停電も、近くにJRの操車場があるため免れた。

震災後、ライフスタイルは一変
外出を控えざるを得なくなった様々な事情

 しかし、極めてアクティブだった熊篠氏の行動は、震災後、一変した。熊篠氏は「出かけるのが怖い」と考え、なるべく外出を控えるようになってしまったのである。あの震災の日、多数の健常者が「帰宅難民」となり、徒歩で数時間をかけて帰宅することになった。

 熊篠氏は、「障害者だからというつもりはないし、言いたくもないけど」と語るけれども、大型の電動車椅子に乗っており、タクシーを利用することのできない熊篠氏が「帰宅難民」となったら、健常者には想像を絶する困難があることだけは間違いない。