結局、自分で考えて自分で行動する人が数多くいなければ、共同体や公共には何もできないということなのかもしれない。

「よく、『自助共助公助』と言っています。自分を助けるのが最初。次に共同体での助け合い。最後に公共が支援させていただく。どうしても、この順序にならざるを得ません」(浅野氏)

まず、個人が自分を助けよ

 前回述べたように、「べてるの家」の完璧な津波避難の出発点は、清水里香氏の「津波の時にパニックになったら逃げられない、どうしよう」という個人的な悩みだった。清水氏の「助かりたい、自分を助けたい」という思いが、清水氏の住む「べてるの家」のグループホームのメンバーに共有され、国立リハビリテーションセンター研究所を巻き込み、浦河町を動かす動きとなったのだった。

「べてるの家」には、「自分助けは人助け」という格言がある。自分の困っていることを解決すれば、そのことで同じ悩みを持つ他の人も助けられる、という意味だ。清水氏の「自分助け」は、数多くの人を地震と津波の恐怖から救うことになった。

 熊篠氏の場合も、冷静な情報収集・判断・日常からの危機管理が、パニックや被害の拡大から本人を救った。山で遭難した時の対処の基本は、まず「うかつに動かないこと」である。状況を把握し、どうすれば確実に対処できるかが理解できるまでは、動くこと自体がリスクである。熊篠氏は停電によって外出できず、その状態で情報収集を行わざるを得なかったのだが、重度障害者の1人が自分自身の安全確保を行うことによって、どれだけ医療その他の社会資源の有効活用が行われたか。考えるまでもないであろう。

海すぐそばにある防潮堤。海抜4mの高さ。東日本大震災の際、浦河町を襲った津波(2.7m)から町を守った。
Photo by Yoshiko Miwa

 浦河町役場の吉野氏は語る。

「ハードウェア、インフラはなかなか作れません。資金の問題もありますし、作ったからといって役に立つかどうかという問題もあります。たとえば、津波から逃げようのない地域に、高さ30mくらいの『お助けタワー』を作ればいいんじゃないか?というご意見もあるんですが、着工途中に津波が来ちゃうかもしれないし、30年後、老朽化した時に津波が来て倒壊して役に立たないかもしれません。でも、ソフトウェア、意識や知識はその日から役に立ちます。だから、防災地図などのソフトウェアづくりや、地域住民の意識を高めることに、特に力を入れています」

 自分は災害時に何が怖いか。どのような災害から、どのように助かりたいか。

 まずは自問自答してみることが、より確実な防災への一歩かもしれない。

(ライター みわよしこ)