車がふわっと浮かんだ後は記憶がない
“死ぬ、死ぬ”という思いだけがよぎった

 吉田さんは「ここから先はパニック状態だったから、断片的なことしか覚えていない」と言い、話を続けた。

「俺の車のルームミラーに、津波が見えた。たぶん、50メートル以内に迫っていた。その直後、波がぶつかった。車がふゎっと浮き、マーチにぶつかった。中年の女性が振り返ったことを覚えている。あとは、記憶にない……」

 かすかに覚えているのは、このすぐ後に軽トラックから降りて、走り出したこと。水は太ももの高さになっていた。波が次々と押し寄せる。すぐ横を、車が数十キロの速さで通り過ぎた。他にも家の柱やテーブル、がれきなどが流されてくる。

 その中を、吉田さんは走っては転びつつも、前に進む。その時間は数分間に及んだという。

「“死ぬ、死ぬ”という思いが頭をよぎった。気がつくとずぶ濡れになって、小学校の付近にいた。奇跡だった」

 屯所に向かい、着替えた後、家族を探しに行くが、3人は生きていないと悟った。

「あの波に飲まれたら、ダメだぁ…」

 長男の芳弘君は学校で一斉に避難し、助かっていた。吉田さんは言った。「お母さんたちは、死んでいるかもしれねぇぞ……。覚悟しておけ」

 3月14日から、消防団員として遺体の捜索を始めた。自ら志願した。

 震災前の消防団の捜索のときに、海で水死体を2体見たことはあるが、多くの人の遺体を捜索し、運ぶのは初めてだった。3人の遺体が見つかることは覚悟していた。

「人生であってはいけないことが、目の前で起きていた。100人の遺体があるならば、その半分は知っている人だった。友人の父親とか、母親。それと、渋滞のときの前の車、マーチに載っていたおばさんの遺体もあった……」