『遺言。』には
何が書かれているのか

「久しぶりに本を書いた」冒頭の文に、いきなり驚愕だ。なんでも、あの超ベストセラー『バカの壁』以来、ずっと「語り下ろし」だったらしい。ちらっと聞いたことはあったが、噂だけではなかったのだ。そして十年以上ぶりで書き下ろされたのが、本書『遺言。』である。はたして何が書かれているのか、いやます期待。

『遺言。』
養老孟司、新潮社、192ページ、720円(税別)

「はじめに」で、早くもその意図は明かされる。「いまの時代は、皆さんいろいろおっしゃるけれど、本当は変なんじゃないか」についての本らしい。そのことについて、思うがままに語られていく。遺言というのは、普通、こういうものがあるからこうするように、と指示が書いてあるものだが、養老先生のは違う。「正しいとか、正しくないとか、そんなことは考えていない」とおっしゃるだけあって、思いつかれるがままに、あなた方はどう考えるつもりなのだ、という問いかけが続く。

 話題はあちこちに飛びまくるが、全体としては、「感覚(もう少し正確にいうと感覚所与)」と「意識」について、ということである。現代社会では両者が対立してきているように見えるが、それでいいのかという話が、いろいろな角度から語られる。といっても少しわかりにくいかもしれないが、養老先生的には「感覚所与」は「現実」あるいは「事実」であり、「意識」とは「理論」である。なるほど、そういうことですか。ではあるのだが、それを「意識」といわれてもなぁという気がしないでもない。

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 そういった問題について、生理学や自家薬籠中の解剖学を用いながらの解説が進められていく。とはいうものの、「理論」とおきかえてもいい「意識」ってどういう意味やねん、と、もやもやしながら読んでいくと、中程に「意識はそんなに偉いのか」という章がある。ここで一気に疑問解消か。と喜んだのは早すぎで、読むと余計にわからなくなった。

「意識は秩序活動である」と言われれば、まぁそんなものか、という気がする。しかし、ついで、「意識に科学的定義はない」とか、「要するに寝ていなきゃあ、意識があるとしておこう」と放り出されると、真面目な読者としては路頭に迷うしかない。

気に入らない箇所があれば、
墨を塗りなさい!?

「はじめに」に「気に入らない箇所があれば、墨を塗りなさい」と書いてあることだし、ここが墨を手にして消してしまうか、養老節についていくかの分かれ道だ。でも、せっかくここまで来たんだから、後者を選んで、ようわからんが意識は存在するのだ、という心持ちで読むしかあるまい。そして、それが正解。話の進み具合にドライブがかかっていく。

 この章あたりまでに書かれていた雑多とも思える内容は、そこからの論を進める手がかりになっていたのである。結論をひとことでまとめるのは、いささか乱暴だし、間違えている可能性もある。しかし、あえて行うと、人間の脳というのは、意識の働きで、どんどんまとめ上げる方向、同じような方向へと向かいがちである。そして、それは望ましくないのではないか。と、読み取った。

 そういった方向性を抑止するため、すなわち、他とは違った感覚所与を保つために、芸術というものが存在する。逆に、デジタル化というのは、意識をさらに昇華させたようなもので、感覚所与を無き物にしてしまう。芸術が滅びることはないが、「意識」がますます優位になっていくだろうし、デジタル化もどんどん進んでいくだろう。