先週は政府与党で決定した社会保障・税の一体改革の中身の問題点を説明しましたが、今週は、その作成過程から透けて見えるもう1つの問題を指摘したいと思います。それは、ソーシャルメディアの普及に伴い民主主義が変質し始めているというのに、策定プロセスにおいて民意を軽視し続ける政治と行政の鈍感さです。

民主主義と資本主義の変質

 正確には、民主主義と資本主義の両方が変質を始めているのではないかと思います。その原動力は主にソーシャルメディアの普及です。それがグローバル化と融合したことにより、変質を押し進めているのです。

 その両者が社会に浸透する前は、政府や大企業といった“権威”が社会で大きな力を持ち、“権威”の内部の価値観に基づく政策や製品・サービスを提供するのが当たり前でした。そこでは、マスメディアを通じた一方向のコミュニケーションの下で、トップダウンによる社会的な合意形成(政策が正しいんだ、製品などがいいんだという刷り込み)が行えたのです。だからこそ、これまで天下りなどの非常識がまかり通ってきたのです。

 しかし、ソーシャルメディアの普及とグローバル化によって、社会的なパワーバランスは明らかに変化しました。グローバルなレベルでの双方向のコミュニケーションが当たり前となり、一般大衆でも容易に世界の常識を知り、意見発信や合意形成を行えるようになったことで、一部の“権威”やその取り巻き(既得権益層)と普通の一般大衆とが対等の立場に立てるようになったのです。一般大衆の方が、数が圧倒的に多いことを考えると、社会のパワーの源泉は一部の“権威”から一般大衆の側にシフトしたと言っても過言ではないのかもしれません。

 だからこそ、例えば民主主義を例に取れば、中東の民主化の動きがあったのみならず、ロシアでも、プーチンが当然のように大統領に返り咲こうとしたのに対して民衆が強烈に抵抗し、プーチンは民衆と対話して納得してもらわざるを得なくなりました。

 資本主義の側でも、米国では昨年、コカ・コーラ社が白い缶のコーラを発売したところ、ネット上で激しい批判が相次ぎ、一週間で元の赤い缶に戻さざるを得なくなりましたし、ギャップはロゴの変更を元に戻さざるを得なくなりましたし、ネット上の映画レンタルのネットフリックスは、突然の料金値上げをユーザに詫びる羽目に陥りました。