イノベーションを起こすには、「創造性」や「発明」が必要だ。だがむしろ、それらを顧客価値の創出につなげ、実際の市場に導入することこそ、はるかに重要で困難だ。作業の完遂に向けては、ひとりの天才には頼れず、多くの異能の人材を共同作業にあたらせ、チームを駆動させなければならない。その実践法をまとめた弊社刊『イノベーション5つの原則』のエッセンスとして、監訳者である楠木建・一橋大学大学院教授のまえがきを全2回で紹介しよう。
芸事の世界で生きている人、たとえば歌手や俳優や落語家をみていると、テレビで突然人気者になった人よりも、じっくりと下積みの経験を積んだ人のほうが、結果的に大成したり、年をとっても長期にわたって活躍することがよくある。これを「たたき上げの強み」といったりする。
「たたき上げ」は二つの要素から成り立っている。「場数」と「顧客からの直接フィードバック」である。
地道なライブ活動からたたき上げた歌手は、ぽっと出のテレビタレントと比べて、なんといっても踏んでいる場数が多い。しかも毎回オーディエンスの前に立って歌っているので、一つ一つのライブでの顧客の反応から、自分のパフォーマンスの出来不出来や、人々のニーズを直接肌身で思い知ることができる。テレビの録画番組で歌っているだけでは、視聴率やテレビ局の人々といった周囲からのフィードバックが効くけれども、これはあくまで間接的なものでしかない。テレビの向こうにいる顧客の声は届かない。
ステージで場数を踏み、オーディエンスからの直接フィードバックを繰り返し受ける中で、自分の強み弱み、芸の持ち味をより深く理解できる。反省と改良を重ね、次のステージで試してみる。またそこで直接フィードバックを受け、さらに芸を練り上げていく。その結果、自分の芸風が確立され、オーディエンスを満足させ続けられる地力がつく。この論理を「たたき上げ」という。
イノベーションという仕事については「たたき上げ」の知見が生まれにくい。イノベーションは定義からして非連続なものであり、例外的にしか起こり得ないからだ。「たたき上げ」の重要な条件である「場数」が期待できない。
イノベーションの当事者でない、たとえば学者や評論家のような立場にある人々であれば、様々なイノベーションの事例なり現象を観察することができる。疑似的にではあるが、観察頻度を稼ぐことができる。そこからイノベーションやそのマネジメントについての知見を導出しようというわけで、現にそうした研究は数多くある。しかし、学者や評論家はイノベーションの当事者ではない。そこでは「たたき上げ」の論理を構成するもう一つの重要な条件、直接フィードバックが欠けている。