セクストーションという名の脅迫

 ジェシー・ローガンの事件は、もう一つの事件を思い出させる。それはカナダに住んでいた、アマンダ・トッドという名の15歳の少女に関する話だ。2012年、トッドの性的な画像が出回り、彼女はいじめのターゲットになってしまったのである。

 ティーンエージャーは普通、セクスティングの告発やいじめに立ち向かう行為から生まれる予期せぬ副作用に、対処できるだけのレジリエンスや強い自意識を持たない。なぜその責任を、既に被害者である、脆弱な子どもたちに押し付けてしまうのか?

 トッドのPCのハードドライブを調査したときに、より詳しい情報が明らかにされた。彼女をトラブルに巻き込んだのはセクスティングではなく、わいせつな画像だった。トッドはウェブカメラを使ったチャットルームに出入りしていて、150人以上の相手に対して、カメラの前で胸を露わにする行為を行っていたのである。

 それは衝動的な行為だったが、すべてが忘れ去られることはなかった。その行為の最中、誰かがスクリーンショットを撮り、トッドのフェイスブック上の友人全員に送り付けたのである。

 それはトッドの画像が、オンライン上の捕食者たちの手に渡った瞬間だった。彼らはウェブの中を徘徊し、トッドのように誰かにとって恥となる画像を集め、「セクストーション」を行うために被写体となった人物に接触する。

 セクストーションとは、わいせつな画像をインターネット上に広く流出させるぞと脅すことで、誰かを脅迫する行為を指す。

 セクストーションの被害者は、金品を要求されることもあるが、より頻繁に求められるのはさらなる画像の提供や、カメラの前での性的行為だ。トッドは悪質な脅迫者から接触されていたことが、チャットの履歴から判明した。

「僕は君が転校する原因をつくった男だよ。自宅に警官が押しかけるようにしてやろうか?嫌なら、僕の前で3回ショーをしてくれ。それで永遠に消えるから。……学校を変えたり、ボーイフレンドを変えたり、友達を変えたりしても、僕は再び現れる。気が狂ってるって?そのとおりさ。」

 後知恵からは何でも言える。たしかにこの時点で、アマンダ・トッドはオンライン上に姿を現すことをやめるべきだった。しかし彼女は、けっして忘れることのできないビデオを作成し、それをユーチューブに投稿した。その中で彼女は、顔を出さずに、自分のうつ病、不安、パニック障害、自傷行為について語った。1ヵ月後、彼女は自殺した。

 2年後、オランダの片田舎で一人暮らしをしていた35歳の男が、アマンダ・トッド事件における強要、インターネット上での計略、嫌がらせ、児童ポルノの罪で起訴された。彼はオランダ、英国、米国において、同様の行為を繰り返していた疑いが持たれている。

 少し時間を戻そう。トッドを悲劇へと追いやる原因をつくったウェブカメラの前の行為は、なぜ行われたのだろうか?衝動性。たしかにセクスティングを促す要因として、心理的なものが挙げられるが、一方で若者の未熟さも要因の一つである。若者は自制心が弱く、衝動的な行為を抑えるのが難しい。未知なるものを探求したいという思いが、衝動性のリスクを忘れさせてしまうのだ。

 クルマが行き交う道路を横断したり、警察などの権威に対して挑発行動をしたりして、そのツケを払わされる若者は無数に存在する。そうした経験を経て、彼らは法律を守る市民として成長していく。こうした若者のバカげた行為を奨励するつもりはないが、成長過程の一部として受け止められるべきだ。間違いは起きてしまうものである。特にティーンエージャーは間違いを犯しがちだ。アマンダ・トッドの場合は、それがウェブカメラの前で胸をさらす行為だった。それが彼女の人生を終わらせるものになってしまってよいのだろうか?

 アマンダの悲劇に関する話を終わりにする前に、1つ重要な点を指摘しておきたい。

 彼女のビデオは1900万回再生され、依然としてオンライン上で公開されている。それでは、何らかの原因で死亡した、あるいは自殺したティーンエージャーの「記念碑」となるページを、フェイスブック上に開設する行為は正しいのだろうか?

 そうしたサイトが、家族や友人たちがそこを訪れてメッセージなどを投稿し、悲しみを表明して、亡くなった大切な人を忘れずにいるための場所であることは理解している。
 そしてたしかに、彼らは慰めを得ることができるだろう。しかし私は大きな懸念を抱いている。

 こうした記念碑的行為は非常に強力なものであり、亡くなったティーンエージャーに名声が与えられたかのように見えてしまう場合がある。それがより多くの自傷行為や、自殺を招いてしまうかもしれないのだ。死ぬことで注目が得られたり、さらには復讐を遂げられたりするのだと考えるティーンエージャーもいる。インターネットはそうした切実な願いを、見世物にしてしまう力を持っている。記念碑型のサイトが持つ建設性と影響力を再評価して、それを取り除くことも選択肢に入れなければならない。

 現実世界であろうと、サイバー空間であろうと、自殺にプラスの側面などないのだ。