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3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史

「せめてあの子が見つかった岸に桜を植えたいんだ」
原発の町で娘の面影を追い続ける父親の“癒えぬ魂”

――浪江町で家族を亡くした白川司氏のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第11回】 2012年4月24日
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 1年前の震災発生時に、愛する娘が福島県浪江町で行方不明となり、立ち入り禁止区域に単身で潜入して捜し続けた父親がいる。神奈川県横須賀市在住の白川司さんだ。前連載「大震災で生と死を見つめて」では、白川さんの心の葛藤を紹介した。

 あれから1年、白川さんは娘の遺体が見つかった場所へ再び向かった。「娘を死においやったのは、俺だった」と自分を責める父親に、現在の心境を聞くことを通じて、「3.11の教訓」を考え直してみたい。


お願いだ、浪江町に行きたいんです
娘が発見された岸に桜を植えたいんだ

(上)ライブカフェを営む白川司さん。(下)ライブカフェ『かぐ楽(ら)』。 京浜急行横須賀中央駅から歩いて5分ほど。

 4月17日午前7時30分、福島県内のとある検問所。「危険立入禁止」「危険 立入制限中」と書かれた看板がある。

 200メートルほど手前で、横須賀市でライブカフェ『かぐ楽(ら)』を営む白川司さん(52歳)は、車を止めた。

 持参した運転免許証などを確認した。警察にこれらを見せることで、信用してもらおうとした。後ろのシートにある、2本の八重桜の木を見つめた。1本は数日前、横須賀市内のホームセンターで購入した。もう1本は、大分県に住む知人が送ってくれた。

 2本の桜を、浪江町の海岸沿いの河川敷に植えるつもりだ。福島第1原発の爆発事故により、浪江町は警戒区域の設定が続く。この検問所を通過しないと、浪江町には行けない。

 白川さんは、娘である葉子さん(26歳)のことを思い起こした。1年前のこの日、浪江町で遺体として発見された。数年前に結婚し、富岡町で夫と1歳の女の子と共に生活していた。

 葉子さんは、東京電力の福島第1原発でオペレーター(放射線・化学管理グループ)として勤務していたが、昨年3月11日は会社を休み、産婦人科に向かった。2人目の子の妊娠の可能性があった。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史

東日本大震災からもう1年が経とうとしている。人々の記憶も薄らぎ始めた。しかし、国の復興対策はなかなか進まず、被災者・遺族の心の傷も癒えない。3.11がもたらした「喪失」は、日本人にどんな教訓を投げかけているのか。日本が真の復興を遂げられる日は来るのか。その問いかけをまだ止めることはできない。いや、止めてはいけない。遺族、医師、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを取材し続けた筆者が、様々な立場から語られる悲劇の真相を改めて炙り出す。

「3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史」

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