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3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史

家族5人の死で家を解体する元消防団員
今も終わらない震災遺族の「心の葛藤」

――東松島市の元消防団副団長・阿部誠氏のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第12回】 2012年5月8日
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 家族5人を失った震災遺族がいる。このような遺族は今や、新聞やテレビで報じられる機会が少なくなり、次第に忘れ去られつつある。しかし、心の葛藤を抱え込みながら、懸命に生きている。

 今回は、孫3人、息子の妻、実の母親が津波に飲まれて死亡したにもかかわらず、その後も消防団員として遺体の捜索・搬送を続けた男性を紹介したい。我々は、こうした遺族たちの「今」をもう一度検証してみる必要があるのではないか。


この家を残しておくと
前に進んでいけねぇから……。

(上)家族5人の遺影を前に話す、阿部誠さん。孫3人の写真は、七五三のときに撮影したもの。(下)自宅は5月に解体することに。

 「ここには、思い出が染みついている。家族が5人もいなくなって、家がそのまま残っている……」

 宮城県東松島市大曲地区で、キュウリやトマトなどのハウス栽培を行なう阿部誠さん(62)が、自宅1階の奥の部屋で、5人の遺影を背に座る。窓の外を見つめながら話す。その声が静かな室内に響く。

 10部屋以上もあるこの家は、近く解体することになった。昨年3月に津波が押し寄せたが、高さは1メートル数十センチほど。家は、大きな被害を受けなかった。それでも、一緒に農業をする長男の聡さん(35)と話し合い、家を新たな場所につくり直すことにした。

 阿部さんは、独り言のようにつぶやく。

 「この家を残しておくと、前に進んでいけねぇから……。遺影も見たくねぇんだっちゃなあ……。思い起こすから。みんなが生きていたら、津波で破壊されたところを修理して住むんだけど」

 遺影は向かって右から、阿部さんの義理の娘であり聡さんの妻の妙恵さん(享年35歳)。その左が、3人の子の一番上で長女の夏海さん(同10歳)、その横に、真ん中の子で長男の壱輝君(同9歳)、さらに末っ子で次女の美命ちゃん(同5歳)。左端に、阿部さんの実母のたつ子さん(同82歳)。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史

東日本大震災からもう1年が経とうとしている。人々の記憶も薄らぎ始めた。しかし、国の復興対策はなかなか進まず、被災者・遺族の心の傷も癒えない。3.11がもたらした「喪失」は、日本人にどんな教訓を投げかけているのか。日本が真の復興を遂げられる日は来るのか。その問いかけをまだ止めることはできない。いや、止めてはいけない。遺族、医師、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを取材し続けた筆者が、様々な立場から語られる悲劇の真相を改めて炙り出す。

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