ダイバダッタという存在
「難が無ければ無難な人生
難が有れば苦難の人生
難有ればこそ有り難し」
「難」を題材にしたこのテンポのいい標語は、大阪の寺院が集まる夕陽丘にある浄土宗のお寺のものです。
「難」で思い出されるのが提婆達多(ダイバダッタ)。釈迦族出身で、お釈迦さまの弟子でありながら、師に背くこと幾度、ついには大逆人の烙印を押された人物です。
手塚治虫さんの「ブッダ」にも出てきますし、「月光仮面」で有名な川内康範さんの作品「愛の戦士レインボーマン」にも主人公に超能力を授ける役として登場しますので、その名前を耳にしたことがある人は多いでしょう。
そんなダイバダッタを、お釈迦さまは自分が悟りを得るために「難」を作り出してくれる存在として捉えます。「難有ればこそ有り難し」、まさに「有難い」存在だったのです。
先頃お亡くなりになった樹木希林さんは、「難の多い人生は、ありがたい」と、こんなお話をされています。
私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。
記事を読む限り、樹木希林さんは内田裕也さんをどうやらダイバダッタのような存在として捉えていたようです。
平穏な人生という意味で「無難な人生」を良しとする気持ちがありますが、「難」を乗り越えていくことにも、人生の喜びが潜んでいます。
ゴルゴ松本「魂の授業」
ゴルゴ松本さんという芸人がいます。お笑いコンビTIMのボケ担当で、「命」とか「炎」といった漢字を全身で表現して笑いを取っていましたね。
その松本さんが、少年院を慰問で訪れて語る「魂の授業」が話題になっています。非行行為で矯正教育を受けている少年少女と対話する。漢字を基に語りかけますが、中でも、「難」の字にまつわるエピソードには、先の標語に通じるものがあります。
「苦」「困」「災」に「難」を加えると「苦難」「困難」「災難」になる。逆に、「難」が無い人生は「無難」だが、入院している君たちはそもそも「難」に遭っている。無難な人生なんてありえない。だから、「難」が有る人生を「有難い」と思うこと。
「難」に遭っても不幸だとばかり思わずに、試練を乗り越えることの喜びも感じてみましょう。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)