「貧しさ」と「豊かさ」の狭間にある「現代の貧困」

 家はないが、寝床と食事はある。携帯電話を持ち、身なりもそれなり。薄くて広い他者とのつながりも築いており、社会生活を送るうえでのコミュニケーションに難があるようにも見えない――。

 カネも、現在の境遇から這い上がるチャンスもないような、ベタな「貧しさ」とは一見遠いところにいるようにも思えるリナとマイカ。

 90年代後半以降、繁華街に対する「浄化作戦」により、「目に付くような」ホームレスや店舗型風俗店、街娼は急激に減少した。猥雑なモノを表面的に消し去り、清潔で機能的になり、「貧しさ」とは遠いところにあるように見える「豊かな」日本。彼女たちは、そんな街の中で生きている。

「現代の貧困」とは、かつてのような可視的な「貧しさ」と直接結びつけられる「貧困」とは異なる。それは、目に見える「貧しさ」が、「あってはならぬもの」として表面的に「漂白」されゆくなかにおいて、それでも残る「貧しさ」と、達成され続ける「豊かさ」との狭間に生まれた「不可視な存在」に他ならない。

 たとえば、「ホームレス」や「ネットカフェ難民」の報道がされる際に、「リュックサックを背負った中年男性」が登場する。彼らは、確かに「わかりやすく貧困を象徴する被写体」であろう。カネもモノもなく、街に暮らす「昔ながらのホームレス」との境界線を漂う存在として。そして、かつての日本を支えた「男性稼ぎ主モデル」に依存する家族システム、企業システム、そして社会そのものから弾き出された象徴として。

 しかし、「男性稼ぎ主モデル」を前提とした「日本型福祉」の崩壊が明確になって久しい現代、「リュックサックを背負った中年男性」に貧困の全ての表象を背負わせ続けるのも無理がある。それは、今も残る旧来型の「貧困」は捉えつつも、「豊かな」日本における異質な他者のこととして「現代の貧困」を封じ込め、また取り逃すことを意味するのかもしれない。

 リナとマイカが始めた「移動キャバクラ」それ自体が、最近の女性や若者の間で広まってきている現象というわけではない。だが、現代に浸透する「フリーランス化」であり「セーフティネットからの排除」であるとすれば、それを捉えることが、極めて普遍的な現象を描きなおすための「補助線」を引くことにもつながるだろう。

「現代の貧困」と「個人化」の向かう先とは

 教育機会や家庭環境が満たされない等の理由によって、社会的包摂への道から早期にドロップアウトした者にとって、水商売や店舗型風俗は、インフォーマルな生活を維持することへのリスクヘッジ方法の一つとして機能してきた(男性ならば、「力仕事」や「暴力と隣接する生業」がそれに当たるだろう)。

 彼女らが、もはやそこに頼ることができないと判断した背景とは何か。

 一方には、それが「普通のバイトに毛が生えた程度しか稼げない」という「デフレ化」(と、それを支える経済成長の柱となる構造の行き詰まり、グローバル化など)があり、他方には、夜間営業取り締まりの厳格化や新規店舗型風俗出店の困難化に象徴される規制強化や「浄化作戦」による、「駆け込み寺」としての中間集団(公と個人をつなぐ集団)への締め付けおよび解体という「個人化」がある。

 名刺1枚と携帯電話で「開業」でき、自らの身体性を駆使し、常連客と築いた「信頼」の中で商売を行なう。職業の「フリーランス化」は「個人の自由の実現」というバラ色の未来につながっているようにも見えるが、一方では、従来であれば中間集団が吸収していたものも含めて、状況の変化の中で生まれるリスクに生身の人間がさらされることも意味する。

 リナとマイカの選択は、「貧しさ」が不可視化され「漂白」された街の中で、これまで用意されてきた「インフォーマルなリスクヘッジ」の手段に頼ることすらできない状況を端的に表していることは確かだ。

「中間集団の崩壊」と「個人化」の一端は、「フリーランス」「ノマド」などと様々な言葉を用いて持て囃されている「脱組織的志向」にも見られる。しかし、そういった現象は、「バラ色の未来へつながるもの」として取り上げられる「高付加価値型人材」の領域だけに当てはまるわけではない。それは、「高付加価値型人材」と同様、いや、もしかしたらそれ以上に、社会的包摂からこぼれた領域に生きる人々にもはっきりと見られる大きな動きに違いない。

「現代の貧困」は、従来の貧困と比較して、より複雑な様相を呈している。土地や労働力が余り、カネやモノが満たされないのが「途上国型の貧困」だとすれば、少なくともここ10年の日本が直面している「先進国型の貧困」は異なる性質を持つ。

 カネやモノはそれなりに行き渡っている。数千円もあれば恥ずかしくない程度には小ぎれいな格好ができて、破れない丈夫な衣服を買うことができる。「食」も「住」も街に遍在している。

 ヒトも情報も過剰であるが故に、労働力(あるいは土地)に付与される「値段」の格差は顕著になり、「持つ者」と「持たざる者」とを隔てる溝がより鮮明になる。世代・ジェンダー・就学歴・エスニシティー・出自の非対称性を背景としながら、相対的弱者が貧困のループに飲み込まれやすい状況が生まれているのだ。

 自分たちを包み込むセーフティネットの網が穴だらけになっても、わずかな接点(「同じく外国人の血を受け継ぎ、同じ年に生まれ、育ったところが近い」「同じ街で、同じ時にタバコを吸っていた」というような共通点)から生まれた綱を頼りにしながら、リナとマイカは街を利用し、街に溶け込んでいる。

 2人の少女は今日も街に立ち、生き続けている。溢れる「豊かさ」に漂白されて、「貧困」など存在しないかのような社会の中で。

一時メディアを賑わせた生活保護受給問題は、徐々に人々の記憶から忘れられようとしている。第5回は、ある団体が作成した生活保護受給マニュアルをもとに、生活保護に頼って生きる元経営者の男性に密着する。次回更新は7月31日(火)。


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『漂白される社会』(著 開沼博)

マックで眠るホームレスギャルの<br />「キャバクラ」開業の理由

売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…社会に蔑まれながら、多くの人々を魅了してもきた「あってはならぬもの」たち。彼らは今、かつての猥雑さを「漂白」され、その色を失いつつある。私たちの日常から見えなくなった、あるいは、見て見ぬふりをしている重い現実が突きつけられる。

 

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『漂白される社会』 目次
はじめに

■序章 「周縁的な存在」の中に見える現代社会
闇の中の社会
現代社会とはいかなる社会なのか
「下世話」な存在の先に眠る契機
「周縁的な存在」と「無縁」
網野善彦に描かれた、かつての「無縁」
形を変えて生き残る現代の〈無縁〉
「無縁」の原理を貫く「周縁的な存在」
現代社会の「旅」の中へ

第一部 空間を超えて存在する「あってはならぬもの」たち

■ 第一章 「売春島」の花火の先にある未来
明治以前から売春を生業とする島
国家成長を支える公然のタブー
存亡の危機を迎える「売春島」
摘発と情報化で加速する島の衰退
「裏」の顔を捨てられない島の現実
原発誘致を巡る島民の葛藤、その選択
かつての遊女は最期の訪れを待つ
陰影にまぎれ去る者たち

■ 第二章 「現代の貧困」に漂うホームレスギャル
マクドナルドで眠る二人のホームレスギャル
池袋の少女たち
「移動キャバクラ」の実態
売春論が迎えている変化の特徴
小学生から薬物に明け暮れたリナ
キャバクラ、そしてホストクラブへの入店
「性」と「カネ」で満たされたマイカの人生
日々の顧客情報はノートで管理
わかりやすさが見落とした「現代の貧困」
夜の世界に頼れない二つの理由
わずかなつながりを頼りに今を生き続ける
「あってはならぬもの」が明らかにする社会の真実
二人のホームレスギャルが映し出す「現代社会のあり様」

第二部 戦後社会が作り上げた幻想の正体

■ 第三章 「新しい共同体」シェアハウスに巣食う商才たち
住民の死に直面したシェアハウス経営者
佐藤がシェアハウスの入居を懇願した理由
遺体の引き取りを拒否した遺族
「夜逃げ後処理屋」が営む巧妙なビジネス
遺品整理業の現場
二度目の「漂白」を迎えた佐藤の死
メディアが描くシェアハウス像への強い疑問
ほどよい“群れ具合"が物件運営のカギ
ネズミ講に求める一攫千金の夢
「オフ会ビジネス」に吸い取られるシェアハウスの住民たち
時代が生んだ「新しい共同体」に商才は群がる

■ 第四章 ヤミ金が救済する「グレー」な生活保護受給者
生活保護受給者となった元会社経営者
バブル崩壊で始まった破滅へのカウントダウン
ヤミ金にハマった松下に、ヤミ金が手を差し伸べる
「生活保護受給マニュアル」による過酷な演技指導
申請前から申請後まで、完備された受給情報
業者が斡旋するマンション、その二つの特徴
「純粋な弱者」への期待が見落とした本質
ヤミ金がもたらす「インフォーマルなセーフティネット」
「純粋な弱者」のみが許容される現代社会
「マイホーム」「幸せな家族」という幻想

第三部 性・ギャンブル・ドラッグに映る「周縁的な存在」

■ 第五章 未成年少女を現金化するスカウトマン
女のコの名前を“ポケモン"で管理するスカウトマン
キレイな街で見落とされる現代の「女衒」
未成年少女という「絶対的な聖域」
管理強化が可視化する売春ビジネス
巧妙に進化する“いかがわしさ"の代替機能
敏腕スカウトマンが語る「ビジネスモデル」の実態
情報化が生み出した新事業「援デリ」
細分化された欲望が生み出す市場のすき間
デリヘルのシステムを「援デリ」に応用
「援デリ」に訪れる環境の変化
「絶対的な聖域」があるための不可視性と希少性

■ 第六章 違法ギャンブルに映る運命の虚構
雑居ビルを彩る会員制の闇バカラ
現代の「貴族」が没頭するバカラの魅力
「持つ者はさらに持つ」象徴
「逸脱した存在」が生み出す新たな価値
闇スロットの「小さな逸脱」が人を魅了する
カネを巻き上げる手法は洗練され続ける
“馴染みやすさ"で浸透する野球賭博
熱中させる「ハンデ」の仕組み
胴元が備える絶対的な資金力
重層的な人脈が可能にする摘発逃れ
社会の隅々に浸透する「ギャンブル的な存在」

■ 第七章 「純白の正義」に不可視化される脱法ドラッグの恐怖
「ドラッグ専門家」に手渡された「脱法ハーブ」
ドラッグ吸引が引き起こした壮絶な体験
「違法」の網から逃れた、「合法」余地が拡大
薬物へのレッテルが和らげる恐怖感
「合法」薬物だから安心という「思い込み」
「ドラッグ初心者」にもたらされた変化
「脱法ドラッグ」十年の歴史
「純白の正義」で引かれた補助線の先にあるもの
売人が語る「脱法ハーブ」ビジネスの実態
社会問題ともされないアディクションのループ

第四部 現代社会に消え行く「暴力の残余」

■ 第八章 右翼の彼が、手榴弾を投げたワケ
マンションの一室に集められた「プロジェクトメンバー」
右翼団体代表がWEBサイトの運営を始めた理由
「仁義」「任侠」「絆」、そして「良心」への期待
似非同和で成り立つ「怪しい」ビジネス
力と知恵を併せ持つ者だけが生き残れる時代
右翼団体代表として迎えた絶頂期
“シャバ"は小野を受けいれる「余裕」を失う
右翼になるまでの人生
時代の変化で可視化された虚像の実態
「勢い」を見せつけた先にあるもの

■ 第九章 新左翼・「過激派」の意外な姿
デモの中の「普通の市民」ではない者たち
街中に佇む「過激派」のアジト
組織が高齢化する当然の理由
縮小を迎える「学生運動」と「労働運動」
「社会を変えたい」と活動に参加した高井
若者はなぜ、「過激派」に参加したのか
今も続く「三里塚闘争」の現場
「三里塚闘争」が残した二つの爪痕
見落とされる「正義」の重層性
六十歳の活動家が語る闘争の現在

第五部 「グローバル化」のなかにある「現代日本の際」

■ 第十章 「偽装結婚」で加速する日本のグローバル化
フィリピンを訪れた「新郎」
戸籍を汚して得る「報酬」の決まり方
厳格化するタレントビザの摘発
「偽装結婚」の摘発が進まない理由
「新郎」が語る摘発の実態
グローバル化は今に始まったことではない
二つの貧困で変わる「家族」と「結婚」

■ 第十一章 「高校サッカー・ブラジル人留学生」の十年後
簡易ベッドで眠るブラジル人
サッカー留学生がたどる複雑な生い立ち
十五歳で急遽来日、両親との再会
孤独な寮生活で溜め込むストレス
高校を中退、アルコールに依存する生活
十代後半から水商売を転々と
周囲を魅了し、裏切り、逃げ続ける
再起を賭けてふたたびサッカーの道へ
法改正で急増した浜松のブラジル人
決して逃れられない「負の呪縛」
故郷ブラジルで見続ける日本での夢

■ 第十二章 「中国エステのママ」の来し方、行く末
「豊かで幸せな生活」を求めて来日したチェ・ホア
働かない父親、貧しい環境で育った幼少時代
大学時代に募る日本文化への憧れ
転職先のアパレル企業で社長の愛人となり貯蓄
念願の来日を果たし、日本語学校に入校
「富士そば」ですすったタヌキそばの思い出
「中国エステ」との出合い
仕事で学んだ日本人サラリーマンの本音
「中国エステ」の実態
「中国エステ」は誰が始めたのか
「オニイサン、マッサージいかがですかー?」
摘発の厳格化で進む「オシャレ化」
就職と事業に失敗し、「中国エステのママ」に
五十万円で店を売却した理由
従業員の性的サービスが招いたトラブル
健全店として生き残るために磨かれる技術
できちゃった結婚と離婚、さらに「偽装結婚」へ
規制強化に翻弄されながらも経営は順調
「豊かで幸せな生活」を求めて「カネの奴隷」に

■ 終章 漂白される社会
変化する日本社会が向かう先
「周縁的な存在」と「あってはならぬもの」の正体
十二の旅で見えてきたもの
「安全や信頼」の再構築が放棄される
もはや「客観的な安全」などない
現代社会への問い、その答えの一つ
漂白される社会

おわりに

主要参考文献
索引