私たちの目の前から“漂白”されつつある「あってはならぬもの」「おかしなこと」にこそ、現代社会が抱える矛盾、そして社会の原動力の中心が存在する。社会学者開沼博は「社会に『補助線』を引く試み」を始める。
最初に目を向けたのが「売春島」だった。彼はそこで数々の噂を耳にした。「島のことを深く調べようとして10年以上行方不明になっているジャーナリストがいる」「宿に荷物を置いていたら中身を調べられた形跡があった」……。しかし、現実のそれを実際に歩きながら、下世話な想像によって生まれた虚像を乗り越えた先に見えてきたものは、急激な近代化に翻弄された地方都市の悲しい素顔だった。
第1回『取り残された「売春島」に浮かぶもの』に続き、島が歩もうとしている未来に迫る。連載は全15回。隔週火曜日に更新。

 船乗りは「把針兼」に安息を求めた

 その島は古代からの「風待ち港」だった。

 大量の物資を長距離にわたって運搬する役割が帆船に任されていた時代、風がなく船を進められない日が続くと、物資の調達と乗員の休息のため、船は「風待ち港」に停泊し、西へ東へ、目的地に向けて進むのに程よい風が来るのを待っていた。

 ある者は宿に泊まり、海上ではめったに口にできない新鮮な野菜に舌鼓を打ちながら時を過ごす。そしてある者は、航海中に“調達”できない水上遊女に、しばしの安息を求めたのであった。

 この水上遊女は「把針兼(はしりがね)」と呼ばれ、その字が表すとおり、船の帆や乗員の衣服などを繕う仕事もした。時には10日、長ければ1ヵ月ものあいだ“貸切”にし、ほかの港との往復の航海をともにすることもあったという。

 明治以降、「把針兼」が禁じられ、また島自体が「風待ち港」としての役割を終えてもなお、この「伝統産業」はその役割をより大きなものとして島を支え続けた。

 近代化の中で、終戦後の売春防止法と「赤線・青線」の生成を持ち出すまでも無く、「前近代的な性倫理」「売春」といった「あってはならぬもの」は公衆の面前から隠蔽されゆく。

 しかし、隠蔽されたところでそれが無くなることはなく、むしろ「あってはならぬもの」であるがゆえに、その必要性はむしろ高まった。国の成長を縁の下で支える公然のタブーとして、人目につきにくい場所に背負わされ、寄せ集められ、そして保存されていった。