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めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

ハーバードに後ろ髪をひかれつつ出発した
日本講演旅行の成果

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第61回】 2010年2月17日
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世界大恐慌が伝播!
ドイツも史上最悪の不況に

 シュンペーターは1929年初頭にボン大学で講義を再開した。10月24日、ウォール街大暴落に始まる米国経済の破綻は1930年に入って世界各国へ伝播し、第1次大戦後の復興がようやく進んでいたドイツも史上最悪の不況に陥った。

 社会民主党のヘルマン・ミュラーを首班とする中道左派連立政権は1930年3月に瓦解し、ついにワイマール共和国の議会制民主主義は完全に崩壊する。中道政党は連立工作すらできず、3月27日にヒンデンブルク大統領は中央党のハインリヒ・ブリューニングを首相に指名した。いわゆる大統領内閣である。大統領には首相を指名する大権が憲法に記されている。1933年にヒトラーが首班指名を受けたのも大統領大権によるものだ。

 ちなみに大統領大権は、ドイツの議会制民主主義の未成熟を懸念したマックス・ウェーバーが、ワイマール憲法の草案を検討している際に加えたものである。

 ブリューニング政権下、1930年10月の総選挙ではナチスが第2党、共産党が第3党に急増し、左右両極の対立が激化して経済混乱がさらに進んだ(第1党は社会民主党)。

 シュンペーターはタウシッグ教授との約束どおり、再び1930/31年冬学期を客員教授として教壇に立つため、ハーバード大学へ向かった。

 第1次大戦で崩壊した国際金本位制の修復に向け、1920年代をとおして各国は次々に金本位制へ復帰していったのだが、1930年代に入ると再び大混乱の縁に立ちすくんでいた。この間、英国のケインズは金本位制批判を繰り返していたが、1925年には英国も旧平価で金本位制に復帰してしまい、大不況に陥っていた。

 好況に沸いていた米国も1929年10月に株バブルが崩壊し、一転して世界恐慌の震源地となる。フーバー大統領の政権(1929-1933)が続いていたが、フーバーは、不況は放っておけばいずれ回復するという古典派的な考えのもと、保護貿易政策を導入し、財政も緊縮した。当然のことながら不況はさらに激しくなっていった。

ハーバードに戻り、
計量経済学の普及に努める

 シュンペーターが2度目の客員教授として米国へ向かったとき、欧米経済はこのような状況だった。ハーバード大学経済学部の首脳部は、シュンペーターを1年前(1929)に新設したハーバード大学ダンスター・ハウスのマスターに擬していたようだ(★注1)。ダンスター・ハウスはファカルティ・クラブと大学院生宿舎を合わせた英国オックスブリッジの学寮(カレッジ)のようなものである。マスターは学寮長だ。

 しかし、シュンペーターはダンスター・ハウスに寄宿することはなく、ちょうど妻が急死したばかりのタウシッグの屋敷に滞在することになった。タウシッグのたっての願いだったそうだ(★注2)。ダンスター・ハウスのスイートもシュンペーターに与えられ、当時オックスフォード大学を経てハーバードの研究員だったエドワード・メイソン(★注3)のチューターをつとめている。

 年末の12月29日、クリーブランドで開催された米国経済学会(AEA)の会合で、「現在の世界恐慌――仮診断(A Tentative Diagnosis)」と題した講演を行なった。ほぼ同じ内容の講演を日本でも行なっているので、次回以降で紹介する。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

「経済成長の起動力は企業家によるイノベーションにある」とする独創的な理論を構築したシュンペーターの発想の冒険行を、100年前のウィーンから辿る知の旅行記。

「めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編」

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