そうですね。例えば、80年代を通して盛んだった「マルチメディア」というバズワードがあります。振り返ってみると、当時のマルチメディアという流行語は、90%以上がテレビ(受像機)に関する話題だと考えられていた。

 一般の家庭にあるテレビの裏側にある技術がアナログからデジタルに変わり、壁掛けの薄型になり、さらに電話回線とつながることで、世界中の人々がテキストや画像などの情報を共有できるようになると喧伝されていました。

ノーベル化学賞・吉野彰氏の予言「バズワードは実現する」リチウムイオン2次電池の研究に着手した1980年代前半は、あらゆる素材を対象にして相性・性能を精査する試行錯誤が続いた。最初は、試験管の中から始まった 写真提供:旭化成 吉野研究室

 あの頃は、産業界全体が「これからはマルチメディアだ!」と未来に向けた数多くのプロジェクトが動いていた。なんだかよく分からないけれど、大きな変革が始まる際には、こうしたバズワードが出てくる。70年代までの大型コンピュータが主流だった時代には扱える人が限定されていたが、80年代にデスクトップ型のパソコンが登場して小型化が進んだことで、大きく進化することになった。当時の議論で言われたように、Yシャツのポケットに収まるサイズまで小さくはならなかったが、流れとして誰でも使えるようになりつつあった。

 私がリチウムイオン2次電池の研究に着手したのは81年で、試行錯誤の末に現行のプロトタイプ(試作品)の完成にこぎ着けたのが85年でした。そこから、実証実験を繰り返して改良を重ねましたが、当時はデジタルカメラ向けの蓄電池を想定していました。小型・軽量で繰り返し使えるリチウムイオン2次電池の用途は、それぐらいしかなかった(苦笑)。その後、8ミリビデオカメラ向けの開発に取り組みましたが、まだ世の中でブレークするには至らなかった。

 ところが、日本では95年に米マイクロソフトの基本ソフト「ウィンドウズ95」を搭載した一般向けのパソコンが普及したことで、大きな転機を迎えました。携帯電話は、80年代からNTTグループが自動車電話の延長で開発したレンガのように大きな端末がありましたが、世の中で爆発的に普及したのは90年代後半に小型化してからです。こうした流れの中で、リチウムイオン2次電池が誇る性能が合致したことにより、ようやく大きな飛躍を果たすことができた。

――吉野さんは、81年に研究に着手してから95年以降に市場が立ち上がるまでの15年間を約5年刻みで3段階に分けて整理しています。企業に身を置く研究者は、誰もが「一発当てたい」と考えていると思いますが、そう簡単に大きな成果は出ません。どうして、挫折することなく、研究を続けられたのですか。