多くの書店でベストセラーのランキング入りしている『媚びない人生』のジョン・キム氏。韓国に生まれて日本に国費留学、アジア、アメリカ、ヨーロッパ等3大陸5カ国を渡り歩き、使う言葉も専門性も変えていった著者が著したのは、ゼミの最終講義で卒業生に送ってきた言葉をベースにした人生論だった。キム氏の友人でもある、元ソニー会長で現在はクオンタムリープの代表を務める出井伸之氏との対談の後編をお届けします。今、2人が若者に伝えたいメッセージとは。(取材・構成/上阪徹 撮影/石郷友仁)
社会の常識は、うさん臭いもの
クオンタムリープ株式会社代表取締役ファウンダー&CEO。 1937年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。60年、ソニー入社。外国部に配属。2度のスイス赴任の後、68年にフランス赴任、ソニーフランス設立に従事。オーディオ事業本部長、89年取締役を経て、95年から2005年まで社長、会長兼グループCEO。エレクトロニクス、ゲーム、音楽、映画、保険、金融等の事業領域を持つグローバル企業へと成長したソニーを変革する。06年、クオンタムリープ設立、ファウンダー&CEOに就任。12年、NPO法人アジア・イノベーターズ・イニシアティブ設立。アクセンチュアのアドバイザリーボード、百度の社外取締役、フリービットの社外取締役なども務めている。多彩な趣味でも知られ、ゴルフ、オペラ、ワインなどを嗜む。近著に『日本進化論』。
出井 一生の恩人、というフランス人が僕にはいるんですね。ちょうど10歳くらい年上で、今も元気なんですが、フランス駐在をしていた20代のとき、彼に言われたことがあったんです。「どうしてあなたは人のネガティブなところから物事を見ようとするんだ。逆にポジティブなところから見ようとしなさい」と。
心理学を学んだ医者だったんですが、実はこの出会いは、僕の人生を変えるほどのインパクトを持ったんです。日本人って、なんでもすぐにネガティブから入ろうとするでしょう。でも、だからこそ、あえてポジティブから入っていく意識に大きな意味があるんです。そうすることで、目の前のものが、人と違って見えてくるから。
見方が一方的ではなくなるんですよ。人と違うモノの考え方ができるようになるということです。そしてそういう見方は訓練すれば誰でもできるようになるんです。
キム これは『媚びない人生』に書いたことですが、社会的な真実というのは、極めて気まぐれで、うさん臭いものですよね。常識もそうですが、世の中の人々は自分の置かれた状況の中で、自分の利害の中で判断をして、正解や真実を作り出しているに過ぎない。実際、社会的真実は複数あったり、共存しています。そして海外に出れば、国によって真実が異なる。世の中には、ひとつの正解などない、と確信しました。
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科特任准教授。韓国生まれ。日本に国費留学。米インディアナ大学博士課程単位取得退学。中央大学博士号取得(総合政策博士)。2004年より、慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構助教授、2009年より現職。英オックスフォード大学客員上席研究員、ドイツ連邦防衛大学研究員(ポスドク)、ハーバード大学法科大学院visiting scholar等を歴任。アジア、アメリカ、ヨーロッパ等、3大陸5ヵ国を渡り歩いた経験から生まれた独自の哲学と生き方論が支持を集める。本書は、著者が家族同様に大切な存在と考えるゼミ生の卒業へのはなむけとして毎年語っている、キムゼミ最終講義『贈る言葉』が原点となっている。この『贈る言葉』とは、将来に対する漠然とした不安を抱くゼミ生達が、今この瞬間から内面的な革命を起こし、人生を支える真の自由を手に入れるための考え方や行動指針を提示したものである。
出井 僕は若い頃、フランスで苦労したけれど、どうしてかといえば、フランスのロジックがまったくわからなかったからです。日本人の見方で見ていたから。ソニーも早くから世界に出て行ったので、アメリカ的な見方を徹底的に鍛えられることになった。日本人の見方という枠内でくくりきれない世の中があるというのを、見てしまったんですね。
実際、同じ物事を解決するのだって、日本人とフランス人とアメリカ人とでは、まったく違うプロセスを踏みますから。フランス時代、どうしてこんなにわざわざ難しいやり方を選ぶんだろう、と不思議でならなかったりした。結果もうまくいかなかったり。でも、後から考えれば、それは実は天才的なやり方だったりするわけですよ。
物事をポジティブに見ることも含めて、そのプラス面を前面に出すことによって、フランスという国からは、あれだけの世界に冠たるトップブランドが次々に生まれているんだと改めて思うんです。世界トップの役人とかね。
だから、こんなに日本と違うのか、というのは、僕にとって本当に面白い体験でした。そして、こういう僕の話を、一番喜んでくれたのが、盛田昭夫さんだったんです。あいつはヘンなことばかり言っている、と聞いてくださって。『メイド・イン・ジャパン』でも名前入りで書かれましたからね(笑)。