フリーランスのライター・編集者として、筆者は同性愛者のエイジング、つまり年を取ることと、そこで起こる問題に関心をもち、自身の取材・執筆テーマとしている。なぜそんなニッチなテーマを追いかけるのか? それは私自身がゲイであり、現在46歳、エイジングのまっただなかにあるからだ。(ライター・編集者/永易至文)

1990年代に生まれた
日本の「ゲイ一期生」

病気、介護、相続……老後の来ないゲイはない<br />すべての人に知ってほしい私たちが直面する課題ながやす・しぶん/1966年、愛媛県生まれ。ライター・編集者、2級FP、にじ色ライフプランニング情報センター主宰。同性愛者のライフプランに関するセミナーの開催や執筆のほか、FPとしての相談にも応じている。著書に「にじ色ライフプランニング入門ーゲイのFPが語る〈暮らし・お金・老後〉」『同性パートナー生活読本』など。

 本ウェブサイトの読者層なら、同性愛者をいまさら精神異常などと見なす人は少ないだろう。「自然の摂理に反する」とアナクロなことも言わないと思う。

 なかには、学生時代からの友人にカムアウトされた、何人かゲイの知り合いがいる――という人がいてもそんなに珍しいことではないし、「一応、差別意識はないつもりだ」と多くの人は言うのではないだろうか。

 日本で同性愛者が比較的、顕在化するようになったのは、1990年代以後である(もっとも都市部だけだろうが)。90年代の初期、女性雑誌をさきがけに「ゲイブーム」が巻き起こった。マスメディアに同性愛者が、「アートに強くセンスのいい人」という新しいイメージで登場。ついにはゴールデンタイムにキー局から、同性愛をテーマとしたテレビドラマ(『同窓会』1993年)が全国オンエアされる事態へ。

 こうした情況は当然、現実の同性愛者の動きを刺激した。自分だけが異常なんだと悩んでいた当事者が、実は同じ仲間がこんなにもいるということを知り、各地でサークルができ、そこに集まるようになり、交流し、自身が同性愛者であることを肯定的に受け入れていったのだ。

 欧米の同性愛者が、ホモセクシュアルという医学診断的名付けに替えて、自ら選びとった「ゲイ」(陽気な、の意味)という言葉を、日本の同性愛者も積極的に使うようになったのはこのころからだ。

 当時20代だった筆者も、この90年代のうねりのなかにいて、自身が同性愛者であることを受け入れていった一人だった。「ありのままの自分でいい」、そして「同性愛者として一生を生きていきたい」と考えるようになった。それは自己肯定、若者らしい「自分探し」の経験だったのだろう。

 こうしたゲイたちの「自分探し」は90年代中盤以後、携帯電話やインターネットなどのコミュニケーションツールの発達とクラブカルチャーの浸透で、一気に大衆化した。大勢の仲間たちと、大好きなディーバたちの曲に合わせて夜通し踊る興奮のなかで、ゲイである自分を肯定し、受け入れていった。

 この時期、日本ではじめて、ゲイというアイデンティティが、そしてライフスタイルとしてのゲイが登場したといえる。「日本のゲイ一期生」の誕生である。そう、いまこれを読んでいるあなたの友人・知人のなかにも、(カムアウトしているかどうかは別にして)ゲイ一期生がいるはずだ。