「教師が信頼されない」
クライシスの悪循環
筆者は20年4月に上梓した著書『教師崩壊』(PHP新書)で五つの「ティーチャーズ・クライシス」を示した。そのうちの一つが「教師が信頼されない」というものだ。
コロナ禍の休校対応しかり。学校や行政が失敗にふたをして学ばずに学校不信が増大し、「教師が信頼されない」というクライシスはさらに大きなものとなっている。
五つのクライシスは独立したものではない。保護者や世間に教師、学校に対しての不信感が広がれば、現場は仕事がやりづらくなる。学校での仕事が増えたり教師のストレスが高まったりすると、過労やうつ病などで「教師の命が失われる」というクライシスが強まる。
そうした状況下では、教師の質は良くならず、教員人気も下がり、「教師が足りない」「教育の質が危ない」というクライシスが増大する。教師不足によって採用と育成の両面で問題が深刻化したり、忙しさに追われたりして教師が考えることをしなくなると、「教師が学びを放棄する」というクライシスの傾向も助長する。
学ばない教師が増えると、教育の質は落ちる。授業の質が落ち、不祥事や学級崩壊などの問題が起きると「教師が信頼されない」というクライシスが増幅される。
五つのクライシスが互いに増幅し合い、さらなる悪循環を生み出している。
英語のクライシス(crisis)には、「危機」のほかに「重大な変化が起きる転機、岐路」という意味もある。ではいま、どんな変化を起こすべきなのか。
日本の学校と教師は大きな役割と業務を担い過ぎている。これを大胆に仕分けし、絞り込む。具体的には、学習指導要領が求める学習量と時間を減らしたり、給食や休み時間の見守り、部活動指導などは別のスタッフに任せたりするべきだ。
その分、AI等では代替しにくい思考力、創造力を高める授業への改善や、ICTを活用した学びの充実など、教師は“本業”にもっと力と時間を使えるようにするべきだ。
最重要課題は、あれもこれも教師に担わせる「欲張りな学校」をやめることである。いま動かずして、公立学校への信頼を挽回するチャンスはない。
Key Visual by Noriyo Shinoda, Graphic by Kaoru Kurata