確かに、インド進出も順風満帆だったわけでない。インド政府との合弁企業「マルチ・ウドヨグ」による現地生産・販売が軌道に乗ると、インド政府が横やりを入れ、経営の主導権を握ろうとしたことがあるのだ。これに対して当時のインド政府を相手に信念を曲げずに裁判で争い、勝ち取ったのが現在のマルチ・スズキへの移行である。

「失敗」というには大げさだが、試行錯誤があってこそインドで現在の地位を築き上げられたのは間違いない。

 現在のインドのモディ首相と、鈴木修会長はじっこんの仲であり、いまやインド政府のスズキへの信頼は厚いものがある。「モディさんから、こちら(インド)に移り住まないかと真剣に言われているんだ」と鈴木修会長は朗らかに言う。

 裁判といえば、独フォルクスワーゲン(VW)と争った熾烈な裁判も記憶に新しい。

 もともと、スズキは81年に当時の世界トップに君臨していた米ゼネラル・モーターズ(GM)との資本提携を行っていた。世間をあっと言わせたこの提携により、スズキは「軽メーカー」から「小型車メーカー」へと大きく飛躍した。「GMは、スズキにとって良き師匠となった。スズキの小型車が進化したのはGMのおかげだ」と修会長は言い切る。

「ジャック・スミスというGMトップとの信頼関係で、GMグループの小型車分野をスズキに任せてくれたんだ」とも言い、2008年までの27年間、GMとスズキは長らく蜜月の関係にあった。

 GMがリーマンショックによって経営が悪化し資本提携を解消した後、09年にスズキが次なる提携の相手として手を組んだのがVWだった。

 だが、VWとの提携は打って変わって難航した。「イコールパートナーで、自主独立」を主張するスズキと「スズキを傘下に収めたい」VWの覇権主義経営がかみ合わなかったのだ。