ホテルニューオータニは1964年につながっている

 また、64年東京五輪の開催に際し、国内の宿泊施設不足を解消するため、国家の要請のもと誕生したホテルニューオータニも印象に残る施設だった。世界初のユニットバスやカーテンウオール工法(あらかじめ作られた壁を取り付けるなどの合理的な工法)など最新技術が次々に導入された。17階建てのこのホテルは日本初の超高層建築として知られただけではなく、「東洋一」のホテルとして日本と海外の交流にもしっかりとした足跡を残した。

 一時的だが、中国大使館はホテルニューオータニの15階を借りて事務所にしていたこともある。私自身も1981年3月、はじめて東京を訪問したとき、このホテルニューオータニのお世話になった。

 2002年、岩波書店から出版された拙著『これは私が愛した日本なのか――新華僑30年の履歴書』(2014年、岩波現代文庫として『この日本、愛すればこそ』が再版)では、次のように記した。

「東京ではホテルニューオータニに泊まった。それだけのことだが、それ以来今日に至るまでニューオータニは私のもっとも好きなホテルである。中国から友人が来ると必ず連れていくし、疲れたときもニューオータニに行って、きれいな庭が見下ろせるラウンジで紅茶を啜りながら、大平学校のことや最初に泊まったときのことに思いを馳せる」

 ある意味、ホテルニューオータニは、64年東京五輪のことを知らない外国人の私にその余韻を楽しませる場所でもあった。

 1964年は、他にも、日本社会に変化が起きている。カラーテレビの普及と、国民の海外旅行の自由化をもたらした。同年4月1日から、「1人年間1回限り」「海外持ち出し500ドル」という回数と外貨制限があるものの、日本人は海外旅行に自由に行けるようになった。さらに、66年1月1日以降は、回数規制もなくなった。