ユーザーの「根源的なニーズ」は近代から変わっていない

高宮 まさに今の「茶道」の話もそうなのですが、よく僕が尾原さんに突っ込まれるのが、「アンビバレント(相反する考え方を同時に持つ)」ですよねと。

尾原 (笑)。

高宮 新しい5つの流れの交差点で「今までなかった新しいものです!」という論調をしていたら、実は新しくないという話をしたいと思います(笑)。

 それは「茶道」の話もそうなんですけど、実は「展示販売」とか「お寺の参道でたたき売りをする」ことも同じだと思っています。

尾原 「がまの油売り」や「バナナのたたき売り」ですね。

高宮 これらは、リアルでの「参画型」の話ですよね。その文脈で捉えたら、昔から人々は「参画型」に価値を感じていて、それを「インターネット化」しただけともいえるんですよね。

 実は、その兆しはあったのですが、それを「インターネット化」することに「気づけたか / 気づけなかったか」が、ファーストペンギンに「なれたか / なれなかったか」の分かれ目になるのかなと思います。

尾原 企業論をやっていて面白いのが、「企業が成功する要因は何か」というと、一番の要因は「結局タイミングですよね」という話があります。だから、提供する価値そのものは昔からあるもので、「プロセスエコノミーなんか昔からあるよ」と言われたりもします。

 高宮さんが分析したように、一つは「できやすい技術が追いついてきたよね」ということです。もう一つは、「競争環境として、周りがその他を食いつぶしてきている」から、次に焦点が当たる部分が、「プロセスエコノミーやマイクロエコノミーにきたな」という感じです。

 つまり、「できる技術」と「競争環境」の2つによって、「どこに価値が立ち上がってくるのか」が変わってきているということですね。

高宮 100年スパンの近代において、モダンタイムズ(近世)な「ユーザーの根源的なニーズ」はそんなに変わっていなくて、テクノロジーに応じて「提供のされ方」が変わってきているだけとも捉えることができると思っています。例えば、「PCからガラケーに変わった」とか「ガラケーからスマホに変わった」という話です。

 その中で、「同じ価値を提供しているサービス」を「違うデバイスに最適化する」と「ガラガラポン」を起こせるということです。だけど、これを「ゼロから発明する必要」はなくて、前の時代からの「同じ根源的なニーズを満たせばいいだけ」と考えれば、何かヒントがあると思うし、「大きな流れ」は変わっていないと思います。

尾原 だからこそ逆に、「小さき者が小さき形でやるインターネットってあるよね」と言いつつも、明らかに「技術がシフト」してきてるし、「競争環境」の中で変わってきていますよね。

 もっと大事なことは、先ほど三つ目におっしゃっていた「ユーザーが価値を感じる場所が変わってきている」ことだと思います。つまり、「機能価値から参加価値」「参加価値から参画価値・共犯価値」ですね。

高宮 それに関しては、大きな流れとして社会全体にあるような気がします。見方を変えると、インターネットの技術が遅れてきただけに、「リアルで既に起こっていた変化」を後追いしているだけにも感じます。つまり、近代の100年〜200年の歴史において、無意識のうちにユーザーは、リアルの世界で「参画価値」を体感していたのだと思います。

尾原 逆にいうと、インターネットが後追いできているので、明確に「参画・共犯価値の市場」があるともいえるかもしれませんね。「Google」や「Amazon」が、「参画・共犯価値をカバーできているか」というと、「カバーできていない部分がある」と思うんですよね。

>>(4)に続く