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田中均の「世界を見る眼」

米中日関係は東アジアの運命を変える
歴史的転換点で日本がとるべき“イニシアティブ”

田中 均 [日本総合研究所国際戦略研究所理事長]
【第14回】 2012年11月21日
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米、中、日で同時期に新体制が発足
日本の運命を決める東アジアの歴史的転換点

 米国でオバマ大統領が再選された。中国では第18回共産党大会が終わり、共産党の最高意思決定機関である政治局常務委員会に、習近平総書記の他計7名の委員が決定された。そして日本では衆議院が解散され、12月16日の総選挙で新たな政治体制が選択されることとなる。

 米国、中国、日本の3ヵ国の相対的な力関係は、この20年の間に大きく変化し、新体制の下での各国の対外政策の変化と相まって、東アジアは歴史的な転換点にさしかかった。これは、日本の将来を決定づけることにもなるのかもしれない。

 近代史を振り返ってみれば、日本、中国、米国の三者の関係が東アジア地域の、そして日本の運命を決めてきた。1853年、大国中国への進出を図るべく新興国米国はペリー提督の黒船を日本に送り、補給基地としての開国を迫る。米国のアジアへの参入の始まりである。

 開国し、明治維新を経た日本は富国強兵を追求し、日清・日露戦争に勝利し、韓国併合・満州国立国、さらには中国大陸に派兵し、戦争を拡大した。中国大陸に本格的に進出した日本は米国に阻止される。

 戦後1951年、日本はサンフランシスコ講和条約により主権を回復、吉田茂首相は米国に安全保障を依存し、経済再建にまい進するという選択をする。

 1969年に世界第二の経済規模を保有することとなった日本は、西側の一員として順調に大国化の道を歩む。そして冷戦が崩壊した1990年頃が、日本のピークであったのだろう。

 しかし、1990年から2010年にかけての日本は「失われた20年」と呼ばれる停滞が続き、一方で中国は改革開放路線の下、目覚ましい台頭を続け、日中のGDPは逆転する。

 米国との関係を見ても、1990年時点で米国総貿易量に占める日中の貿易量は大きく逆転し、財務省証券の外国保有残高でも1990年時点では日本が圧倒的シェアを占めていたが、2010年には中国が最大の保有国となっている。

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田中 均 [日本総合研究所国際戦略研究所理事長]

1947年生まれ。京都府出身。京都大学法学部卒業。株式会社日本総合研究所国際戦略研究所理事長、公益財団法人日本国際交流センターシニアフェロー、東京大学公共政策大学院客員教授。1969年外務省入省。北米局北米第一課首席事務官、北米局北米第二課長、アジア局北東アジア課長、北米局審議官、経済局長、アジア大洋州局長、外務審議官(政策担当)などを歴任。小泉政権では2002年に首相訪朝を実現させる。外交・安全保障、政治、経済に広く精通し、政策通の論客として知られる。

 


田中均の「世界を見る眼」

西側先進国の衰退や新興国の台頭など、従来とは異なるフェーズに入った世界情勢。とりわけ中国が発言力を増すアジアにおいて、日本は新たな外交・安全保障の枠組み作りを迫られている。自民党政権で、長らく北米やアジア・太平洋地域との外交に携わり、「外務省きっての政策通」として知られた田中 均・日本総研国際戦略研究所理事長が、来るべき国際社会のあり方と日本が進むべき道について提言する。

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